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問題解決

妊娠中、お腹が張って苦しくて歩くのがやっとだった時、何でもない横断歩道を信号が青のうちに渡れきれず、本当に苦労した経験がある。まさか、あんな簡単なことができないなんて、とショックだったけれど、できないものは出来ないのだ。

だから、信号待ちでお年寄りが横断歩道を一生懸命渡ろうとしていると、頑張れ、もう少しだから、と応援したくなる。

動かそうとしても足が出ない情けなさも、信号待ちで待たせてはいけないという焦りの気持ちも、手に取るようにわかるようになれたのは、あの時の体験があったからだ。

できて当たり前と信じて疑わなかったから、私には必要な経験だったと思う。


人の気持ちがわからない私には、わかるようになるまで、これでもかというくらい問題が次から次に起きた。

その都度、解決することばかりに一生懸命で、「なぜこれが起きたのか?」と問いかけ、原因を見つけることができなかった。

どうしよう、と狼狽え、とにかく、困った現実を早く変えたい気持ちと、目の前の現実を見るに堪えない恐ろしさで、問題とじっくり取り組む余裕も勇気も、なかった。

逃げずに向き合うことをしてこなかった私には、無理からぬことだったが。


起きたことで人を傷つけたり、迷惑をかけてしまったと罪悪感を持つのでなく、自分の偏った考えに気づき、起こった事の意味がわかれば、もう同じ問題は起きないのだと、もっと早く気づきたかったけれど、これもまた私が決めてきた事なのだろう。

人に頼り切っていた私が、そんな自分に気づき、自分で考えようと思うまで、自分を明け渡してきた姿に気がついて、内面に目を向けるまで、これまでの時が必要だったに違いない、と思うのだ。






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