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自分が中心

人間、辛すぎることには、手を付けられないものだ。仕事も親子関係も嫌になりすべて投げ出した夫は、何年も、自分では手を付けられない悩みを抱えたままでいる。

そんな夫を、ずっとそばにいて見てきた私は、というと何もせず、ただ荒れ狂って暴言を吐いたり、機嫌が悪くなるのをなだめたりするばかりだった。

夫の怒りが怖かったし、何もできないでいる自分も悪いような気がして、ただ黙っているしかできなかった。

仕事をしなければお金に困るから、妻が仕事に出るところを、初めの頃は、私の行動が夫を怒らせるのではないかという恐れもあったし、私が稼ぐことが、働けない自分という夫の負い目に、追い打ちをかけるように思ったからだ。

機嫌が悪くなれば、自分が働いて偉そうに、と言うに違いないと思うと動けなかったけれど、私にも、何とかせねばというより、どうしようという甘えがあったように思う。


でも、その都度そばにいる夫を非難し、軽蔑し、恨んでも被害者になるばかりで、私には何の学びもなかったと思った。

苦しみを味わっているのは夫で、夫が自分の人生を嘆くのも呪うのも自由だが、それは夫の問題だ。私が夫の方ばかり見て批判する限り、被害者のままでふりまわされるだけだった。

そして、私がすることは、自分に軸足を置き、自分の心を見ていることだったと気がついた。


なぜ私はそんな夫を見ているのか、を自分の問題として考えなければならないのだと。


現実は、私が今どんな思いでいるのかを教えてくれているだけなのだから、その思いに気づいて、私の在り方を修正すればいい。

目の前の出来事におろおろして、そこで苦しんでいるだけでは、何も解決しない。

あくまでも自分中心に考える事が、その苦しみを外から眺められる方法だったことにやっと気がついたのだ。










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