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「行動経済学が最強の学問である」を読んで。外国人によるボランティア詐欺はナッジしていたんだろうなと思った。

私は資本主義が何なのか、そして、共産主義が何なのかが全くわかっていない。その上でそれらを包括した経済学と言う学問に心理学を加えた行動経済学の入門書と評される本書を読んでみて、とても楽しく行動経済学を学べた。と言うのが感想である。

まず、何故僕が経済学の基礎をしろうとしなかった言い訳として、まず、資本主義=競争を産むことで社会がよりよくなる。打って変って、社会主義が成長をストップさせると言う構造に懐疑的であるから。ぶっちゃけた話し、今の日本で自由にお金儲けしようとして、それが社会の貢献に繋がるのか?社会構造の根底に関わっている人間の方が薄給じゃないかなと、感覚的に思ってしまう。世間はいわゆる「ビジネス」と言って情報商材で設けたり、インフルエンサーになって広告をつけたり、娯楽を与える側になると言う事が成功と定義されている様な気がして。「これが競争なのか?このスパイラルで全体の幸福に繋がるのか」とずっと疑問があった。ただ、それは経済学の僕の理解の浅さと。本能に訴えている、「システム1」の思考に囚われているに過ぎなかったのだ。

脳はオートマ(システム1)とマニュアル(システム2)でギアチェンしているらしい。

私が囚われていた、成功者=表に出ている人とは、刷り込みで。世間から認知されている、凄い人という考え方が本能的であって。経済学が生まれた時には時代背景がまるっきり違うし、いかに自分が消費者・社会人として愚かだったかと思い知らされる。脳はメディアの広告・戦略によってシステム1のオートマでの判断するように仕向けられていたのだ。



D(多様的)・E(公平性)・I(包括性)こそが次の社会のステージか?

最後の章に多様的・公平的・包括性と言うのが、社会の主流になりつつある。と言う事だが、社会全体の、淡い感情(アフェクトと本書で記されている)、が自己の成長や幸福に繋げ易ければ、社会の機運もより良くなり。経済が上向きになるのでは無いだろうか?自分にはもう遅いや、自分のおかれた立場では無理だ。これがステレオタイプであると考える事が世間に浸透すれば「消極的なアフェクト」が消え、挑戦するハードルが低くなり、世間の生産性が活発になる、これが次の経済のステージなのかと思う。
経済は思ってるより感情的で。ノリなんだろうかなと思ったりする。(実際に明るい曲がSpotifyでトップチャートで多く並ぶと株価が上がったと調査があると)

ひと昔前に話題となった募金詐欺は行動経済学か?

タイトルにある通り、僕は以前駅前で、募金活動をしていた外国人の方に「恵まれない子供達のために募金をお願いします」と声をかけられた事がある。
ここまでは良いのだが、その方は手帳を出し「募金をしてくれたら金額と名前を書いてください」と言ってきた、もしこの募金が成功し学校を建てたあかつきには名前がどっかの記念碑にでも記されるのかなと思って、手帳を見ると、手帳にかかれている額が1000円から5000円ばかりで。10000円もあった気がする。僕は出そうとした、50円をしまい、1000円札を苦虫をつぶしながらも苦くは無いと顔で渡し。愚かにも個人情報である名前まで記載してしまった。これが詐欺の手口であるのは後にニュースで知る事になる。
義務教育を受けてきた僕は発展途上国の「恵まれない」とされている子に教養で負かされた。もう日本の義務教育の方が恵まれていない気がした。

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