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東京タワー、オカンと僕と、ときどき無職(父)6【完結】

【前回までのあらすじ】
ようすけ氏、軍隊会社の帰社中に末尾110の反響が鳴りクレームかとビビる

●●警察「携帯に貴方の登録があったため電話しました。御子息さんですね。
昨晩、●●さんが●●でお亡くなりになりました。つきまして事情含め●●警察に来て頂きたいので...」

俺は膝から地面に崩れ落ちた。
プライベートでは人生2度目だった。
身体中の体温が一気に上がったのを覚えている。
「早く不動産会社で稼いでまた家族みんなで暮らしたい」と思っていた夢が壊れた瞬間だった。
上司にすぐ連絡した。
「どうした?お前泣いてるのか?」
と言った上司には返事もしなく電話を切った。殺意を感じる暇もなく感情がなくなった。
もう一人の上司にも報告した。
「すみません、父が亡くなり明日仕事休みます」
「仕事なんかどうでもいいだろ!こっちは気にするな!」
と言われた。
いつも数字に誰より厳しいH部長が(仕事なんてどうでもいい)という言葉を発する程の緊急事態と、優しさにより涙が止まらなかった。
H部長はやはり人間としても俺の憧れだった。

警察に母と行き事情を聞いた。
どうやら脳溢血らしい。
部屋で亡くなった所を一緒に暮らしていた人に見つかったようだ。
警察には知らない大人が沢山いた。
どうやら父が亡くなる前数年間お世話になってた人らしい。
初めて父の事を色々話を聞いた。
天涯孤独、両親と絶縁した父は若い頃頭がキレキレだったらしく建設会社で大活躍してたらしい。
会社は急成長したが父がヤラカシをし会社を追われる形になり無職、その後に母と会い結婚、そして鳩家を出た後は偉くなった後輩や元先輩が仕事や寮を手配してくれたと聞いた。
働くのが嫌いなのとプライドが邪魔して戻れなかったらしい。
母はずっと「すみません、すみません。●●がお世話になりっぱなしで...」と何度も頭を下げていた。
離婚してて実質無関係なのに謝ってた。

通夜や葬式をする事になったが金がない。
ギリギリの生活と父が残した借金と住宅ローン(ステップアップローン)を俺の給料と母のパートでなんとか生活していたからだ。
M君に事情を説明すると何も文句を言わずにお金を貸してくれた。
申し訳ないと思う。
なんとか体裁くらいのお金は用意できたが全く足りない。お金は全部父が勤めていた会社が全部出してくれた。手配もしてくれた。
会社の功労者だから、というのが理由のようだ。

通夜に行くとビックリするくらいの人が集まってた。
そして泣いてる人もいた。
「君のお父さんは昔凄く怖くてね。竹刀で叩かれたりしたけど、俺は...大好きだったんだよ...先週ご飯食べたばかりなのに...」
と元部下の人は号泣してた。
顔をぐちゃぐちゃにして泣いてる大の男の姿に、(いや、オヤジ竹刀で部下殴っちゃダメだろ...)という感情より、父が慕われていたのを知って嬉しかった。
慕われてたら竹刀で殴っていいのかな...(アカン)
会社の近くのスナックのママさんも泣いてた。
俺は父親がどういう人生か全く知らなかったが、そんな知らない父は人が泣くくらい慕われてたのは感動したのを覚えている。俺が死んだら誰か泣くかな..とも思った。

喪主を任されマイクを持ち挨拶もした。
流石のおチャラケの俺もこの空気のなか、数百人の前で猪木の物真似は出来ない。
来て頂いた事の感謝を伝えた。
社長さんが
「お母さんと妹さんを支えるんだぞ。何かあったら連絡しろよ」
と固い握手を交わしたのが印象的だった。
何かあっても電話はあれからしてない。

帰り際、母が社長さんから
「これ受け取ってください」
と数百万が入った香典を渡されそうになると
「ここまでして頂いて受け取れません。皆さんで使ってください。本当にありがとうございます」
と1円も受け取らなかった。
喉から手が出るほど欲しい金があっても手を出さない。
筋を通すオンナだった。だから貧乏という点もあるが、受け取らなかった母を尊敬した。
帰り際
「あれ400くらいあったかな...300くらいかな...」
とちょっと後悔してる母は人間らしくて笑った。

父が亡くなって1カ月後に住宅ローンが消え、なんとか不安材料が一つ消えた。
母は離婚してるから俺と妹の不動産だがタイミングがなく相続登記はしてなく(アカン)、将来は妹に全部やるよと伝えてある。

そんなある日、知らない番号から電話が来た。
父の息子だったwwwwwww
おいwwwwwマジかwwwww
聞いたらバツ3らしく相続発生し連絡をとってきた。
ただ電話だけだった。
息子さん「会った事もないですし相続欲しいとも思いませんが、どんな人だったかだけ教えてくれますか?」
と。
母「もの静かで優しい人でした」
とだけ伝えたらしい。
「ありがとうございました」
と切った。
おそらくシングルマザーで苦労した息子さんを思うと、少し悲しくなった。
名前知らない父の息子(妹の腹違い)か。
つーか、母さんアンタ苦労したのにかばいすぎだろとも思ったが。
うーむ。俺は独身なのにバツ3は凄いな(違)

父は雲のように自由に生きて前田慶次の生まれ変わりの可能性を感じる。
母は人生は我慢の連続でサラリーマンの彼氏も出来て犬も飼って幸せそう。
妹は自宅をひたすら守ってる。父に似て働くのが嫌いらしく、俺と生まれる順番逆じゃなくて良かったwww
優しい所あるからいいけど。

「家に金がなかった 今はポスティングで生きてる」
俺の半生なんて2行で説明出来ちゃうし、何か社会的に大きな事を成し遂げた訳でもなし、成し遂げる可能性の方が低く、誰かに知られる事はないんだろうし、私の履歴書にも取り上げられないし、町人Aとして人生進む可能性が高い。
成功者でもない俺のこの話も何かに取り上げられなくきっと埋もれていく。
だからこそ、なぜか父との思い出をnoteに書いてみたくなりました。多分、Twitter出来ないストレスと勉強のストレスが加速したメンヘラなんだと思う(キッパリ)

沢山の友人が今まで金がなく女の子にフラれてばかりの俺に良くしてくれてなんとか生きて来ました。

職場の先輩達は落ち込んでるとメシを奢ってくれたり、俺が上司に理不尽に怒られてるとその上司にキレてくれる方もいて良い人ばかりだった。

Twitterの方々もそうですが、こんな普段フザけてばかりの俺に、不動産で不明な事をDMで教えてくれる方、わざわざ指名して売買契約を結んでくれる方、お友達を紹介してくれる方、自社未公開物件を紹介くれチャンスをくれる方、売却依頼をくれる方、宅建を取れと心配し自分の部下のように叱咤激励してる方、部長!と慕ってくれる広告費ない部、DMで応援してくれる方、皆さんには感謝しかありません(僕はヒップホッパーではありません)
いつもありがとうございます。
ちゃんと結果と恩を返したい。

落ちたらとは思いたくありませんが、偏差値40の脳みそ梅干大に宅建業法詰め込んで10月18日(日)まで残り1カ月弱足掻いてみます。俺たちプロは結果が全てだろ?(毎日ずっとお腹が痛いです。去年の契約飛んだら会社潰れるか否か以来)

父がギャンブル以外で唯一好きだった鬼平犯科帳、ジプシーキングスのインスピレーションをエンディングに閉めます。


父が教えてくれた

「プレゼントは自分が一番大事なものをあげるんだぞ」という言葉は胸に残ってるが、女の子に俺の自作編集ミスチル MDプレゼントしたら軽くフラれたのは良い思い出です(吐き気

では2020年10月18日(日)に。

(当日僕のアカウント消えてたらお友達各位はLINEください。当日の夜は場末のスナックで飲めないアルコールを飲んでます。水割りをください)


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