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どうも“福”住職の村上定運です。


初めまして、私は茨城県潮来市の薬師寺東関東別院 水雲山潮音寺 通称 慈母観音(じぼかんのん)福住職の村上定運と申します。名前だけでも覚えて帰ってください。
東京駅から鹿島行きのバスで70分強の距離にあるお寺は広く、ボタンやハス、ユリなどの花が四季を通じて境内を彩ります。

ここで見落としがちですが、住職に次ぐ立場、ということならば普通は「“副”住職」のはずなのですが、なぜ「“福”住職」なのでしょうか。自己紹介を兼ねて、私をかたちづくってきたエピソードを書いていきます。どうぞご覧ください。

しっかりしなさい

今を去ること20年以上前、12歳の時に薬師寺で正式に得度(とくど、お坊さんになること)をさせていただきました。当時管主(かんしゅ)であった高田好胤(こういん)和上から僧侶としての名前である「定運」をつけていただき、気が付けば戸籍も変えて今やすっかり定運になりました。

「定」は禅定(ぜんじょう)、すなわち心を静めて正しい境地に身を置くこと。「運」は文字通り運ぶ、動かす、努力をすることを指します。つまり、「定運」とは「しっかりしなさい」という意味があるようで、高田和上はよっぽど私の人間性がわかっていらしたのでしょう、人生を通して名前に注意されています。

その教訓から、薬師寺では「修学旅行生にどう伝えればしっかりしてくれるかなぁ」と考えながらお寺の紹介、法話を行ってきました。そのうち旅行会社の方や学校の先生から「ぜひあのお坊さんに話してほしい」「出来れば学校まで来てほしい」などのリクエストをたくさんいただき、伽藍(がらん、境内のこと)の担当としてお話をしていた間ずっと「指名ナンバー1」状態でした。
そのおかげもあって、一時はGoogleで「お坊さん」と検索すると、画像結果の1番目に私の写真が出てくる時期がありました。

こういう調子に乗りやすいところを「しっかり」しないといけませんね。
では、どうして私はこのような性格になっていったのでしょうか。

お寺の子

時はさかのぼりますが、私の家は祖父の代から数えて3代目になる僧侶家系で、幼いころからずっと髪の毛には縁がなく、住所は常にお寺でした。
末っ子長男、姉2人ということで待望の跡取りとして生まれた私に対する親族および町内の方々の寵愛は半端ではなく、それに呼応するかのごとく小さな私はどんどんと可愛らしさを増していきました。またそんな子供を見て周囲の人たちはガンガン私を甘やかしたのです。

ただそこには、「将来お坊さんになって苦労しなきゃいけなくてかわいそうだから」という背景があったことを当時の私は理解できるはずもありません。実際周りからは「良かったねぇ、お坊さんになれるなんて素晴らしいねぇ」とはしょっちゅう言われましたが、それに付随してくるであろう苦労をうまく乗り越えるような技術や知識は教えてはもらえなかったのです。

こんなはずじゃなかった

そうして中学時代から突如として超が付くほどのタテ社会に飛び込んだ結果、それまでに自分を取り巻いていた素晴らしい環境から急転直下、何もかもが思い通りにならない不自由な生活が始まりました。

朝は早く、先輩は厳しく、長い休みと大きな行事はすべてお寺優先。しかもお寺は世界遺産。もしもお盆と正月がいっぺんに来たとしたらおそらく過労で倒れていたことでしょう。そのうち心の中に不満が出始め、無意識に修行をサボり、常に文句ばかりが口をついて出てきました。

学校でも「なんだか他の子たちと生活が違う気がする」と感じた結果友人とうまくなじめず、それ以前から甘やかされてきた根性の弱さも手伝って、坂道を転がるように学習態度は悪くなっていきました。

とにかくどうしようもないお坊ちゃんが、大したこともない急な不便さにくじけてひねくれていたというわけですね。自分で書いてても恥ずかしくなるほどです。

救いの手

そんな状況下、すっかりくじけていた自分を助け、人生の見方を上向きに修正してくれた人たちがいます。

家族や友だちや兄弟子さんはもちろんですが、具体的には
・中3で出演したテレビ番組の共演者、ディレクターさん。
・高校時代の担任の先生。
・お寺にご奉仕に来ていた学生さんたち。
から本当にたくさんのものをいただきました。

このあたりのことは大学受験~人生の闇~最大の試練~茨城転勤というエピソードなどの形で今後詳しくご紹介する予定です。

それぞれに素晴らしい思い出がありますが、これらの方々から私がいただいたのは、「価値観と視野の広さ」「辛いことを受け入れる強さ」そして何より「ユーモア」です。人間が生きていく時に「ユーモアに溢れた笑い」を求めることが幸せの要件なんだという、私の人生を通して持ち続けている気持ちを教わったと思います。

「福住職」誕生の話

去年8月に赴任した茨城の潮音寺がある地域は、東日本大震災の液状化により町全体が被災しました。お寺の境内も壊滅的な被害を受け、住職が復興に取り組んで来ましたが思うようにはいかず、地域の人たちも一様にくたびれてしまっています。

「どうせ何をやっても全て奪われてしまうんだから意味なんかない。」
「こんなお寺に行ったって関わるだけ時間の無駄だよ。」
という話を地元の人から赴任当初よく聞きました。

50年ほど前にニュータウン計画により生まれたその町はすっかり高齢化が進み、子供たちも実家を出て暮らしている世代が多数存在します。これまでにさんざん頑張ってきた人たちには「頑張れ」と言える空気ではありません。正直どうすればいいのか分からず途方に暮れる寸前だったと思います。

そんなお寺でお勤めをしだしたある日、お寺のブログに書いた記事に投稿者の名前を入力する際、誤って「副住職」を「福住職」と打ち込んでアップしてしまいました。
するとこれが意外にも好評で、地元のお婆ちゃんやお店の人から「たしかに副住職と話してると福がもらえそうだもんねぇ。」と口々に言われました。

笑顔を向けながら話してくれるお婆ちゃんの姿を見て
「“福”住職、、、これだ!」と思いました。

度々聞こえてくる「もういいよ」「どうでもいいよ」という言葉に押し切られそうになってしまっていた私は、そのうち心の中で「何もできることなんてないや」と思い始めていたのです。それは中高時代の自分の姿と大いに重なりました。

当時、後ろ向きな言葉だけを吐き出す自分に付き合ってくれていた友人が、同様に後ろ向きになっていったことを考えました。きっとあの頃は心に泥や毒が溜まっていたのでしょう。

「同じように溜めるんなら幸せで前向きなことの方がいい!」と思い、お寺に来てくれた方の心に、仏さまのお力をお借りして福を届けていくことを目指そうと決めました。最初はただの打ち間違えでしたが、この間違いによってとても重要なことに気付かせてもらいました。このようにして“福”住職が誕生したのです。

人の心に福を住まわせる職、「福住職」

まだまだお寺業界では駆け出しの身分ですし勉強も実力も足りてはいませんが、地域のお年寄りから学生、果ては園児に至るまで多くの人たちと関わりを持ち、お話を聞いていただき、一緒に行事に参加をして心の中に「福」を届けられるように精進します。

「福」を残す話題は仏教を基本にしたお話がほとんどですが、言葉と文字とではまた違った伝え方もできると思い、noteにも記録をするつもりで書くことを計画しています。

良ければライブ配信をしている実名のFacebookやTwitter、Instagram(@joun998942)などもフォローして頂けると幸いです。
数多くあるnoteの中からこの記事を選んでくださってありがとうございました。
合 掌

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