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福住職がnoteをはじめた理由

どうも、福住職の村上定運です。アヤメとアジサイが咲き誇る潮来では、明日6月6日、潮音寺開山45周年の行事が行われるところです。今年は節目の年だったのですが、この状況下で大勢の方をご招待するのは難しいため寺内関係者のみでの開催になりました。

そういえば初回のnoteに潮音寺のURLを載せて無かったな、ということで、

↓↓こちらが潮音寺日記です↓↓
http://choonji.blogspot.com/
基本的には行事の告知と報告がブログ形式で掲載されていますが、あとは住職が育てているお花が次々とアップされていますので、癒されたい方はご覧ください。

私もお花の写真をアップしたいところではあるんですが、残念ながら出来ません。

実は、初回の投稿であれだけ茨城の話をしておきながら、現在おもに東京にいるんです、私。

薬師寺には「東関東別院」すなわち潮音寺と、五反田の「東京別院」があり、今回のお話は東京別院でのお話です。

話は東京に移りますが

6月になり、現在お留守番を務めている五反田の薬師寺東京別院が開院いたしました。4月中旬の閉院から数えておよそ50日ぶりの開門になります。私の知る限りでは恐らくこんなに門を閉ざしていたことはなかったと思います。

薬師寺東京別院の歴史は昭和40年代に本山から薬師如来さまにお越しいただいてお祀りしたことから始まります。

「池田山」という名の閑静な住宅街にある東京別院は都内でありながら心落ち着く空間となっており、毎日お写経が出来る道場を開設しているほか、月に5回本山僧侶による無料の法話会を行っています。

※令和2年3月より、薬師寺東京別院は毎月12日の縁日法要を除く行事や法話会を見合わせております。また、法話会同様に中止しておりました道場でのお写経は6月16日から再開させていただきます。(令和2年6月5日現在)

平成15年には老朽化の進んでいたそれまでのお屋敷から大掛かりな建て替えを行いました。
↓↓薬師寺東京別院↓↓
https://yakushiji.or.jp/tokyo/

その翌年に当たる平成16年4月、私は大学進学に際してこの東京別院へと移り住んだのですが、北向き小窓と鍵なしふすまだけの4畳弱のスペースに何を気に入ったのか都合7年も暮らしてしまいました。大学時代にもたくさんエピソードがあるのですが、そのお話はまた別の機会に。

東京駐在への道

そんな東京別院では4月頭ごろに「新型コロナウイルス感染拡大を予防する意味でも職員さんが出勤せずに済むよう、臨時の駐在員を置こう!」という話が持ち上がりました。

その結果選ばれたのが、居住経験があってなおかつほど近い茨城に赴任している私だったのです。

かくして、いつまで駐在を続けなければならないのかも分からない状況の中で荷物をまとめ、母にありったけの感謝と別れを告げ、精いっぱいのお米と水、非常食などを買い込んで東京に上陸しました。それはそれは決死の覚悟であったと覚えています。

と言うのも、時期的にはまさに感染拡大が爆発的に進んでいる最中でしたので、奈良から見たその頃の東京のイメージは北斗の拳のような世紀末に匹敵するものでした。逆に奈良県は日本で初めて感染が報道されたこともあり、奈良ナンバーの車で移動するだけで回りから警戒されたこともきっとこの先忘れないことでしょう。

その後しばらくは通常通り開門してご参拝やお写経、ご朱印などの対応をしていたのですが、緊急事態宣言からほどなくして全面的に閉院する、という運びとなりました。

お寺のなかで時間を持て余す

お寺を閉めてからは、掃除や勤行、簡単な事務作業をこなしつつ、食事は100パーセント自炊。そして、それ以外の時間はご訪問者とお電話の対応ばっかりで一日が終わる、という毎日が続きました。

お越しくださったもののお寺が門を閉ざしているため「何で開いてないの!!?」というお怒りのお問合せがあったり、電話での「この先どうしていけばいいのか分からなくて不安で不安で。。。」という内容のご相談を延々とお聴きする状態がしばらく続きました。そうは言っても特に出来ることもなく、段々と空白の時間が増えていきました。

ある日も「お寺なんだからこっちが来たいと思っている気持ちに応えるもんだろう!!!」というお話をインターフォン越しに拝聴していたのですが、そのうち「開いてないと文句を言う人も、不安な気持ちを伝える人も、どちらも仏様とのつながりを結べなくて困っている。つまりこの人たちは求めているものが得られなくて苦しんでいるんだ。」という感覚的な理解をしました。

思い通りにならない苦しみ

仏教の基本的な煩悩として「三毒(さんどく)」があります。これは「貪・瞋・癡(とん・じん・ち)」と言い、それぞれむさぼり、怒り、そして愚かさを指します。

これを今の状況に当てはめると、
不安だから相手や周辺がどんな状況だろうがお構いなし(愚かさ)。
遠くからも拝めるし、心に念じることも大切だけど何が何でもお寺に入ってお参りしたい(むさぼり)。
それがかなわないから坊主が憎くて腹が立つ(怒り)。
となる訳ですね。

「恐怖は怒りへと導き、怒りは憎しみへと導く、そして憎しみは苦しみへと導くのだ。」映画「スターウォーズ」にてマスター・ヨーダが若きアナキン・スカイウォーに説いた名言です。アナキンがジェダイからダークサイドに堕ちた本質も「恐怖心」がはじまりでした。誰でも恐怖は感じるものだということでしょう。

リモートで福は届けられるか

「不安から恐怖が生まれてしまうなら、どうにかその流れを変えられないだろうか。」
「これだけの時間があれば求めている人たちに何かしらを発信できるんじゃないかな。」
「法話会も中止だし、他にも出張での講座や講演などが無いから勉強する時間はある。」

そんな発想から私は知り合いを頼り、インターネット上でどのように発信すれば多くの求める人のところへ出来るだけの福を届けられるか、という相談をさせてもらいました。

その結果、大変好意的に情報を集めてたくさんのアドバイスをくれたのです。その情報をもとに、Twitter・Instagram・そしてnoteと、現代人ならみんな触れていそうな全てを試してみることになったのです。

彼らがいなければ一人でここまで進めることは出来なかっただろうと思います。改めて感謝したいと思います。

インターネットを使って発信していきたいこと

「コロナ疲れ」「コロナうつ」「コロナ離婚」などという言葉がトレンド入りしてしまうほど社会不安は増大し、日々新聞やニュース、ネット上においても目を覆いたくなるような悲惨な事件が起きています。

普段穏やかな人でさえも余裕がなくなっている状況で、初回の投稿でも紹介した通り「福」を届けられるようにしたいと思いますので、ぜひこれからもnoteを読んで日常生活にご活用ください。

「福」を残す話題は仏教を基本にしたお話がほとんどですが、今後はTwitterの質問箱やInstagramのアンケートでもらった質問やお悩みにも答えていきたいと思いますので、そちらも是非フォローしていただけると幸いです。

Facebook(村上定運)、Twitter、Instagram(@joun998942)

ご覧いただき、ありがとうございました。

合 掌

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