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【Zatsu】迷惑動画を考える

まじめな話。

いまだにつづく迷惑動画について。
このところ流行って(?)いますよね。当初はバイトテロが主流だったけれど、最近では客テロも増えている。この迷惑動画についてはもはや社会問題といってもいいくらいなので、あちこちで論じられているだろうけれど、何が起きているのかについて自分なりに考察してみました。


オトナがいない

イタズラの内容を見るとどれもしょうもないレベルで、悪ふざけの延長。もちろんやられるほうはたまらんけど。

お調子者はいつの時代もいる。でも、調子に乗りすぎるのをストップするオトナがいたんだ。学生なら先輩かな。いまは大人が子ども化しているというか、大人になり切れていないというか、とにかく止める人がいないんだね。

自己責任という名の自由放任主義レッセフェール、価値観の多様化という名の無関心ことなかれ主義。


かねのちから

初期のアルバイトは苦学生の学費補助だった。80年代ごろから遊ぶためのバイトが流行する。社会勉強という名目でバイトも奨励された。

もはや店は大人に連れていってもらうところではなく、バイトの金でいけるようになった。自分の稼いだ金で何をしようと勝手だろ、という価値観が横行。小金を持ち始めたんだ。

小金を持って仲間と繰り出すとすれば、お手軽なのは飲食店。


店と客のどちらも素人

飲食業の原価率の高さよ。コストを抑えるためにバイトを雇う。当然ながら来る客もそれなりの客。

これが一流のレストランや料亭だとこうはならない。店は単価を上げ、来店客を選ぶからだ。でもカジュアルな店は客を選ばない(選べない)。選ぶ基準は客ではなく財布。お金を払ってくれるかどうか。しかも、価格だってそこまで高くない。

薄利多売のビジネスではこれはやむを得ない。結果、素人が来店し、素人が接客する構図ができあがる。これによる店舗の雰囲気というのは、残念ながら確実にある。緊張感のない、弛緩した、悪ふざけしても許されると勘違いしてしまう空気。


狭い世界

そんな空気があっても普通は思いとどまるんだ。それが理性の力だね。ひとりだったら、くだらないイタズラはしないんじゃないかな。

でも理性を突き崩すきっかけがある。友人とワイワイ飲み食いしているその場のノリとか。アルコールもあるかもしれない。あるいは、その場ではおひとり様だったとしても、動画撮影していてネットワークの向こうにたくさんの視聴者がいれば、結果的にそれはみんなとワイワイしながらパーティしているのと同じなわけだ。

子どもなんて目の前の世界がすべてなんだから、たいして後先考えずに行動するもんだよ。


リアルごっこ遊び

ましてや、デジタルツールやSNSによるネットワークがある。映像作品を作るのは、もはや映画製作所やテレビ局の専売特許ではない。手元の携帯端末で、ボタン一つでできる。しかも、そこそこクオリティの高いのが。

映画ごっこやテレビごっこを、お手軽にできてしまう環境が整っているんだよな。環境がなければ妄想するだけだが、へたに環境が整ってしまっているものだから、始末が悪い。実行するかどうかは、未熟な子どもの理性にゆだねられているんだ。


本当に知らない可能性

いわゆるバイトテロの走りは2007年の吉野家「テラ豚丼」事件。当時もかなりネットで叩かれていたのを覚えているけど、いまだに類似事件がつづいている。

世間的には「これだけ騒ぎになっているのに、どうして何度も発生するんだ」と理解に苦しむ声が飛び交う。おれも「最終的にたいした罪に問われなかった事例が多いので、甘く見てるんだろう」くらいの認識だったんだが、最近ちょっと考えが変わってきた。

もしかしたら、やらかしている子どもの大半は過去の事例なんて、本当に知らないのかもしれない。過去を知ったうえで「でも大丈夫だろう」とナメてかかっているわけじゃなくて、本当に過去事例について認識がないんじゃないか、という気がしてきた。

それくらい、最近の子の情報収集ルートは偏っている。学校でもリテラシーの授業とか組み込んでいるらしいが、追い付いていないのかもしれない。


ネットで批判する人たちの問題意識

まあ、おれも人のことは言えないわけだが、こういう迷惑動画が問題になるたび、ネットで批判めいたコメントが沸くじゃない?

動画を撮っているほうも大概だけど、ガチギレしているアンタらのうちどれくらいの人が、普段からこの件に問題意識を持っているのか、訊いてみたいわ。普段はあまり食育とかのことについて何も言わないくせに、こういう動画が出て炎上したとたん、大声で怒鳴るって、どうなのよ? で、コメント書くためにWikiとかちゃちゃっと調べたりして、妙に歴史的なデータとかからめつつ書き込んだりして。あいたたた。

安全なところから誰かをサンドバックにしたいだけ。いろいろ書きこんでいるんだけど、たいがい不満や煽りばかりで、生産的なヒントなんてあまり見当たらないのが実情だと思います。


初等教育はある種のマインドセットである

個人的には、この負の連鎖を止めるにはもう初等教育で徹底して倫理観に枠をはめ込むしかないんじゃないかと思っている。

イタズラしたいという誘惑にかられたとき、「やめとけ!」と言ってくれる人が必要なわけじゃない? 一神教の世界ではそれが「神様」なんだけれど、標準的な日本人にとってはそれが周囲の「目」だったんだ。幼いころは親が「いけません!」と止め役を買って出てくれたけれど、それも「親が周囲の目を気にして子どもを制している」という構図にすぎない。結局は相対的な関係性なんだ。叱り方も「〇〇ちゃんが嫌がっているからやめなさい」「あの人のご迷惑になるからやめなさい」でしょ。行動そのものの善悪をとがめるんじゃないんだよ。あくまで相対的に相手がどう思うか、それを基準にやめなさい、なんだ。

自分の中の絶対的な神様と対話して、その価値観に応じて行動をするのか、周囲の人からどう見られるかを踏まえて相対的に自分を律するか。

でも、周囲との関係性は、自由放任主義や無関心主義がはびこった結果として形骸化してしまった。もはや相対的に自分を律することは難しいと思う。であれば、自分の中に核を作るしかないだろう。

個人的には宗教でいいと思っているんだが、アレルギーのある人もいると思うので、オフィシャルには「文部科学省の倫理教育基準」のようなものにする。やることはかわらないんだけどさ。

もう解決方法ってこれしかないんじゃないかという気がする。「迷惑動画をぶっ壊す党」として立候補していいっすかね。
選挙ポスターにはパンダの写真ものっけようと思います😛