新生活が始まるにあたって

考えたこと、感じたことの備忘録。私と両親。

私は小さい時の記憶が映像付きでポツポツある。

幼稚園に入るときは、年中さんからの入園で、入園式なのか始業式なのか、なんの会なのか分からないけど、隣にお母さんがいて、タオルに名前書くだとか、コップはどうでとか、準備の話を聞いていて、お母さんがメモしていた。その時に、年中さんからの入園じゃない人もいるんだって知った記憶がある。

卒園式の時に、簡単な漢字が書けるようになって、長い話を聞いている間、お母さんに漢字を書いて見せたり、どう書くの?って聞いたりして、大、中、小って書けたら、すごいねって言ってくれた。

小学校に入学する時は、入学式の服を買ってもらった。その時期の女の子には少し渋いかもしれなくて、黄色とかじゃなくて良いの?って言われたけど、グレーが良い!って言って買ってもらった。今これを書いてて、大学の入学式もグレーのスーツ買ってもらったなって、思い出した。
鉛筆とか筆箱とかも選んだなって懐かしい。クッション性があって、両面開くやつ。飽き性なので筆箱を高頻度で買い替えて怒られてた。(でも買ってくれる)

中学の入学前の春休みは、事前課題が多くあって、それをやってた記憶。プロフィールを書く紙も書かないといけなくて、お母さんに何書けば良いかなー?とか相談してたな。

高校受験は、めちゃくちゃ勉強して、塾にも通わせてもらった。22時に塾が終わって迎えに来てもらって、車の中で逃げ恥を見ていた。ゴリゴリ受験前だったけど、逃げ恥を見るのだけは欠かしてなかった。そして合格発表の日、メガネを探してもたもたしてたらお母さんに先に受験番号を見つけられた。なんかその時すごい余裕で、落ちるって思ってなかったけど受かっててよかった。第一志望に受かって、お父さんに窒息しそうなくらい抱きしめられた。

大学は推薦で入ったから、一般組より早く家を決めたりしてた。3月末に入居予定だったから、コロナが始まってもそのまま東京で一人暮らしを始めた。同じ上京組で実家に帰ってた子もいたけど、実家にいたくなくて私はずっと東京で過ごしていた。

そして今度は大学を卒業し、社会人になろうとしている。スーツ買うのなんて、自分1人でもできるのに、帰省したタイミングで一緒に行って買ってもらった。ちょっと申し訳ないなって気持ちで。
スーツケースが小さくて、荷物が入らないってなったら就職祝いだって言って高い良いやつ買ってもらった。
引越し作業とかも手伝ってくれて、車パンパンに荷物積んで4年間住んだ部屋を退去した。

ひとつひとつ思い返すと、べったりだった幼稚園生から、どんどん自分でできることが増えて、ちょっと離れて、でも頼ってばかりで。

してくれた、してもらった、が多かったけど、できた、が増えるようにがんばる。

自分が歳を重ねるということは親も歳を重ねるわけで、元気でいられる時間が少なくなってきて、いつかいなくなってしまうんだなって思う。祖父母が亡くなって、親を看取る気持ちってどうなんだろうって考える。まだまだその時は来ないでほしいけど。というかこさせないけど。

世間知らずで学生として子供として守られてきて、今は頼ってばかりだけど、将来立場が逆転した時、私は何ができるんだろう。子供は、生まれてから3歳で一生分の親孝行をしてるって言ってる人がいるけど、そんなんじゃ足りないくらい与えられてることが多い。too much。

これからは社会人として、多方面に孝行できるように(両親が最優先だけど)、たくさんのことを身につけて成長して、ビッグになってやりたい。

ちょっと前までは、姉が上京とか就職しても私が家にいるから両親はそんなに寂しがってなかったけど、私がいなくなると子供全員遠いから寂しがるし、ワンチャン子供部屋おばさんでもいいんじゃね??ウィンウィンじゃね?って思ってた。正直。

でも今はそんな、わたしが存在してるだけで良いんでしょ?ってマインドじゃなくて、両親になにかしたいって気持ちが強い。

この気持ちを忘れずに、社会人頑張るからね。
ちゃんとやれるか分からないけど頑張ります。

22年間育ててくれてありがとう。これからもたくさん頼るけど、それ以上に私が頼もしい立派な社会人になれるように頑張ります。

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