先生が心を鬼にしている時にどういう心にしてればいいの?

子どものころ先生に叱られたことがある。その時によく聞く言い回しで「心を鬼にして」というのがある。なぜ鬼にしたんだろうか。等身大の先生のままでよかったのに…。むしろ等身大の先生として叱ったほうがそのお叱りが胸に響いたかもしれない。「心を等身大の私にして…」素敵な響きだ。

先生の「心を鬼にして」時に私はどうあればいいのだろうか。鬼に対抗して私の心は桃太郎や金太郎にしたほうが良いのだろうか。ただ「心を桃太郎にして話を聞く」だと反抗している感がある。反抗期も第二次反抗期も過ぎた私にとってそれはどうかと思うので、反抗する気はなくしっかりと誠心誠意そのお叱りを受け止めるスタンスを取る必要がある。つまり、先生より小さき者になって受け入れる必要がある。小さい物といえば「豆」ですね。よって、「心を鬼にして叱っている先生」に対しては「心を豆にして聞く生徒」をするべきだと思う。しかし、よくよく考えると「豆」は鬼の弱点なので結局反抗している。反抗期は止まらない。

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