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DEATH STRANDING 感想:繋がってないけど、繋がってる。

DEATH STRANDINGをクリアしてから5ヶ月ほど経ってしまいましたが

今になってしみじみ思う、感想。
具体的なネタバレなし。

まずこのゲームのルールは、荷物を運ぶ、そして荷物運んで、あとは荷物を運ぶ。運び終わったら、荷物を運んで、そして荷物を運んで荷物を運ぶ。

あとは荷物を運んで終わり。

たったそれだけ。

まずゲームとして面白いのか?

と聞かれると、実はイエスなのだ。
例えば、アクションゲームを遊んだとき、特定の好きなコンボがあって
そればかり使ってクリアしてしまったとしても、基本的には面白い。
つまり、人は一つの好きな武器で、同じコンボをしていても楽しいのだ。
故に、このゲームにおける「歩いて運ぶ」という動作
これ自体が面白い操作性になっているために、既に面白い。

そして、別の武器や、色々な敵キャラクターが出てくると面白い。
本作においては、敵キャラクターは出てくるものの、それは作品の一部で
真の敵は地形であるために、前述の「歩いて運ぶ」に対して
「歩きづらい地形」が超えるべき敵として在るためこれもクリアしている。つまりモンスターハンターが

自分の得意な武器

様々なモンスター

上手く狩猟する

というゲームなのだとしたら本作デスストランディングは

自分の好きなルート

様々な地形

上手く歩く

これが基本ルールとして不思議なことに成り立っている。
それゆえに、ただ歩くという行為にハラハラできるかがこのゲームの肝に
なっているのだ。
それは、後述、歩くということがどれほど大事で、そして楽しいか。
その点から成り立っているのよって話。

ということで、歩いていて何にハラハラするのか。

それはまずこの世界の状況における部分。
詳しくは割愛するが、デスストランディングの世界では、
空輸が機能しておらず、物流が無いに等しい。
そして多くの人は各地の少人数のシェルターに住んでいる。
故に、徒歩や車での配達だけが他者と取引する手段なのだ。

病人のいるシェルターに薬が届かなければ病人は死ぬ。
食料の無い場所に独り身の人間が居れば、食料が届かなければ餓死する。

(という雰囲気だけで、システム上人が自然死はしません。)

そして同じく割愛するが、この世界において、人が死んで放置されるという
ことは、非常に危険な事態を生む。
故に、死なせてはいけない。物資を運ぶ人間にはそれだけの責任がある。

とはいえ、プレイヤーからすれば、所詮ゲームなので
荷物が壊れようと関係ない。
そんなこんなでチュートリアルは始まります。
さぁ、主人公サムは転んで荷物をぶちまけました。
これを拾い集めて、届けましょう!
うっかりすると転んじゃうよ!

ってな感じで、ふーん転んでみよっか。
ドシーン。
あー、なるほどね、こうなると荷物が壊れるのか
でもまぁ、多少壊れても届ければクリアなんだし、大丈夫じゃん?

と、操作を覚えたところで、ムービーを見て、さてじゃあ、あとは
自分の手で運んでください!って渡されるものが

やばい。

絶対転んだらダメなやつだよね?

ゲームを遊ぶプレイヤーにとっても
そして主人公であるサムにとっても


一切傷つけてはいけない配達物。

いきなりこんなもの運ばせんなよ。

この時点で、サムとプレイヤーが完全に同調します。
そして、自分にとってこんなにも大切で落としてはいけない配達物を
無事に運び終えた時、自然と感じるわけです。


「これから運ぶ荷物はすべて、依頼主が待ちわびてるんだ」

「絶対壊しちゃいけない。」

この時点でゲームシステムを、プレイヤーは全肯定させられてしまう。
つまり、前述であった、システムの肝である
「転んではいけないというハラハラ感」を
身をもって体験させられ、身体に沁みつけられる。心に教え込まれる。

そうしてこのゲームは始まります。

まさかのそんな始まり方をします。

このゲームの語るべき部分の7割くらいがこの序章です。

さて、残りの3割はというと、その後もサム”ポーター”ブリッジズは
荷物を運びます。
それは、人と人をつなげるために。
荷物を運ぶことで、失われた人間の繋がりを再生する旅が始まります。

出会った人は口々に、サムに感謝し、その向こう側にいる我々プレイヤーも
思わずほっとしてしまう。
そうして、NPC達とつながって行く。

そして、新たな配達が始まり、困難な道に出会った時
このゲームのもう一つの”繋がり”である

世界の誰かとどこかでつながっている

が生きてくる。
このゲームは、はしごをかけたり、縄で崖を降りたりして
自分だけのルートを作って行くわけだけれど
その、どこかの誰かが使ったはしごが、自分の世界にも現れる。
これがもう一つのこのゲームの繋がり。
ああ、この崖を登れたら早かったなぁ
この谷を超えれないと、荷物が腐ってしまう。
そう思って辺りを見回すと、誰かがおいたはしごがあって
「ああ、どこかの誰か、ありがとう、使わせてもらいます。」
そう感謝しながら、道を歩いていくことができる。

そうして、自分が置いたはしごも誰かのところへ置かれる。
どこかの誰かを間接的に救うことが出来る。
このオンラインシステムは斬新で画期的。

ダークソウルにあったメッセージシステムをさらに昇華させたような。
こればかりは、プレイしてみないことには分かりませんが
プレイした人は、常に誰かの息吹を感じている。
誰かと一緒に遊んでいるような、そういう錯覚を覚えます。

繋がっている。

でも繋がっていない。

これがもう一つのとても大切なところ。

実際に現実で、近所の人とすれ違った時軽く挨拶をする。
コンビニで買い物をしてありがとうと言って店を出る。

人は、繋がりを重んじるからこそ、人と出会った時に無視をしない。
でも、お互い生活には関係ないし、あくまでその瞬間繋がるだけのこと。

だから、本作デスストランディングに登場する人物は皆繋がっていません。
それぞれが、自分の仕事を全うしていて
それぞれが自分の生活を持っていて。
それを、たまに繋ぐために、サムは荷物を運ぶ。

そして、ありがとうと言われて、終わり

この距離感がまた、すごく暖かい。
ずっと仲良しでも、歴戦の友でもない。
関係ない人に感謝し合える、そういう

繋がっていない繋がり

これが、デスストランディングの最大の魅力ではないかと思います。

サムは、世界をつなぐために旅をして、どんどん世界は繋がって行く。
けれど、それは常に繋がってるんではなくて

繋がりたい時だけ繋がれる。

それを作るための旅なんだと感じる。
昨今、Twitterをはじめ、ソーシャルネットワークは
繋がっていないと不安であったり
繋がらないと弾かれたりします。
そんな世の中に対してのアンチテーゼとして


人は繋がりたい時だけ繋がればいい。

そして、繋がりたい時に繋がれる環境がある。

それが一番優しくて幸せなのではないか。

それが本作のテーマかなと僕は感じました。

今日この日、この記事を読んでくれた貴方と僕は今繋がりました。

ありがとうございます。

明日は他人ですが、今この時だけは僕と関わってくれたことに感謝します。

ついでにと言っては何ですが、そんな僕のプレイ動画はYoutubeの
再生リストで見れます。

https://youtu.be/o_QT647b8SI


https://www.youtube.com/playlist?list=PL07YCpq8UzNVjU0-N1YDAAQ-QPH0SYGn3

もう少しだけ僕と繋がってくれるという方はよろしくお願いします。

でも、出来れば、自分でサムと世界を繋げてから
デスストランディングをプレイしてから
自分の世界と、人の世界を見比べられるとより面白いかなと思います。

といったところで、僕の感想でした。

ありがとう、またいつか記事を読んでください。

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