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表現は無礼講でエゴでいいんじゃないか

皆さんは言いたくても言えないことはありますか?
友達や上司なんかが話していて、違う意見があってもなかなか言えなかったり。

僕自身、なかなか言えないのでめちゃくちゃわかります。
空気を読んだり、単純にその人に声が届かなかったりして、ぐっと自分を押し殺すみたいな事は、多かれ少なかれ皆さん経験あると思います。

場合によっては、ストレスが溜まったとしても早く話が進めばいいやと自分の声を押し殺すということもあるでしょう。

年をとり、社会と関わるほど「自分を飲み込む」という事が上手くなってきます。
自分自分で、意見を通そうとするとウザい奴だと言われたり「空気が読めない」と言われたりして腫れ物扱いをされてしまいます。

その意見が強く攻撃的であればある程、その反感も買いやすくなります。

ですが、それは音楽や絵、話芸など、クリエイティブなものに昇華させることによって「表現」に変わります。

「表現」にすることで、皆が楽しめるものになるのです。本当は同じ意見を持っていたけど、空気を読んで賛同できなかった人も、その「表現」が代弁してくれることによって救われる、ということもあるのです。

考えてみれば、音楽や芸術のパイオニア達の作品は、攻撃的な表現に溢れています。個人的な事から政治、哲学まで、自分の意見をぶつけています。

でも、最近は表現においても空気を読まなければいけなくなって来ている気がしています。

日本の事を曲にしただけで叩かれるなんて事もありました。
本来表現は自由なものだったのに。声を上げられない僕らの生存戦略であり、それこそが美しいものだったのに。

みんなに忖度し、誰にも叩かれないように作った作品はだけで満たされる、そんな世界は面白いんでしょうか…

表現において、人は空気を読まなくていいと思うのです。それはどんな主張でもいいですし、主張がない表現だってありなのです。

僕は、基本的に「音楽を作りたい」から音楽を作っています。意見を表現に昇華させるということをメインにあまりしていなくて、作りたい音楽を先に作って、そこに表現を乗せるという作り方でした。

でも、今回の曲では「意見」を先に作り、音楽という変換器を使って「表現」へと昇華させるという作り方をしてみたかったのです。
自分の汚らしくてしょうもない感情を、取り繕わずに出してみたいなぁと思いました。

表現においては、全てが無礼講です。
そして、全てがエゴでいいのです。

無礼講エゴという曲を書きました。
本日17時半、お楽しみに。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm33968312?cp_webto=share_tw-spweb


Twitter→@jon_408

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