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私は、怪我をして人の人生の重みを知ることになりました😭

こんにちは 五月美です

今回は、私が入院した時の話をしようと思います。


当時、パートさんから推薦して臨時社員になった人を指導する任命を受けていました。


「じゃあ、明日からやって行くからね」

「はい、よろしくお願いしまぁ~す」


こんな会話をして準備を整え明日に備えました。


ところが、その夜、友達と買い物に行った帰り道に

「観葉植物買ったから見にきてよ」

こんな友達の誘いを受けて

「オッケー♪」


二人で自転車を爽快に走らせると

目の前に小さな坂がありました。


友達は難なくクリア♪

その後に続いた私は坂の途中でバランスを崩し自転車と共に転げ落ちてしまったんです💦

痛い・・・


激しく転んだわけじゃない姿を見ていた友達は

「何してるん😅大丈夫?」


痛すぎて起き上がれずにいた私は、いったい何がどうなったのか自分がどのような状態になっているのかも分かりませんでした。


一向に起き上がってこない私に友達もただ事ではないと分かり慌てて救急車を呼びました。


しかし・・

無慈悲にも、あれってすぐに運んでくれることもなく目指す病院を手配してる中で事情説明をしないといけないんですね😭

事故じゃないかと警察も来るし💦

今でも何を話したのか覚えてないほど痛かったです。


結果は・・・左足を骨折してましたよ😭

これも運命なのか当たり所が悪かったんでしょうね。

しかも自転車は無傷でした。


反対だったら良かったんですけど自転車は綺麗なものでしたよ😅


結局、入院になったんですけど・・・

そこは家から結構離れた聞いたこともない病院だったんですけど、もちろん整形外科病棟で同じ部屋には高齢の方ばかりがいました。

部屋数もたくさんあって満室状態。


どこからともなく、たくさんの声が聞こえてきました。


今でもどうしても忘れられない声

その人の声は多分いつも子供の名前を呼ぶものでした。

「〇〇ちゃん、〇〇くん助けてぇ~」


きっと認知症だったと思うのですが・・・

1日中聞こえるその声に私は何故か胸が締め付けられるほど切なく聞こえていました。


慌ただしく日々業務に追われている看護師さんたち。


そんな日常も当たり前になっていたと思いますが、その叫びは私にはかなりの衝撃でした。


隣のベッドの高齢の方は何回も何回もベルを鳴らし看護師さんを呼び出しては文句を言っていたので、当然看護師さんたちもイライラが募り厳しい言葉を投げかけることもありました💦

「そんな、たくさん口に突っ込まんといて!!」

「早く食べないからでしょっ!!」

怖い・・・😱


私は、足の痛みに薬を貰おうとベルを鳴らしますが忙しさで待てど暮らせど看護師さんはやってこない💦

トイレが1番遠い部屋だったので車椅子を用意してもらおうとしても来ない😭


私は意を決して自力でトイレまで向かう途中に

「あんた何で入院してるん?」

少し高齢の女性の方が声をかけてきた。

「あ、足を骨折したんです😅」

「私もしたけど、手術はせんでよかってん」

ほら、という感じでズボンを少しずり落とした場所にはガッツリ手術痕が残っていました。

「あぁ、そうですか😊」

次の日もその次の日も同じ会話・・・


横で看護師さんが慌ただしく動き回っていた。


隣のベッドの人は勝手に点滴を抜いたり、私と仕切っているカーテンを開けたりするので私はベッドの移動を余儀なくされました。

「もぉ~止めてください」

いつも看護師さんの悲痛な声が聞こえていた。


次に隣になった女性はいつも泣いていました。

「主人が末期のガンで私が在宅で世話をしてたけど、転んで怪我をして入院してしまったから主人が気になって仕方がないんです」


その人は耳が少し不自由でリハビリの先生とのやりとりに四苦八苦していました。

「もう、全然、聞こえてねぇ~な」

先生の声が聞こえてきた。


私がうっかりスマホをベットの下に落としてしまい

「どうしょう・・」


忙しそうな看護師さんたちに私は戸惑っていましたが、こればっかりは困ると思ってベルを鳴らしました💦


恐縮する私に

「いいですよ、いつでも呼んでください😄」


私は、心配して入院当初は数時間ごとに訪れてくれていて優しい言葉をかけてくれることも多く看護師さんに感謝していました。


ある日

「検査にいきましょうね😊」

「はい」

「もう痛くない?」

「はい、だいぶマシになりました」

「良かったねぇ~🥰」


検査の為に1階に下りる時に一緒にいる看護師さんが途中に乗ってきた看護師さんに同僚の人の愚痴を言っていました。

ヒートアップするその言葉に私の存在さえ見えなくなっていたようです😅


過酷な労働環境の中でたまに漏れだす本音がそこにありました。


看護師さんの優しい顔と声、そして過酷さのあまり余裕のない厳しい顔と悲痛な叫びを私はここに来て初めて知りました。


夜中に響き渡る患者さんの叫び声。


夜中に自力でトイレに向かう廊下で看護婦さんはあくせく動いていました。

ツンと鼻をつく臭い。

誰かの排便の臭いが廊下まで漂っていました。


「あ、大丈夫?手伝おうか?」

私は遠慮して

「いいえ」

「気を付けてね😊」

「はい」


こんな光景を私は幾度となく見てきた。


「もう動けなくなった・・死にたい・・・」

高齢の男性の方の声。

胸が傷んだ。


同じ病室の女性がベルを何回も鳴らしても来ないことに苛立ち

「こんな病院見たことない」

「早く退院させて!!ここは最悪や」

平謝りする看護師さん

カーテン1枚で仕切ってる部屋に丸聞こえだった。


私は、当初痛みに耐えながら職場のことや自分のことばかり考え自分の愚かさに嘆いてばかりいて看護師さんに慰められていました。

コロナ渦もあってラインでのやりとりが救いでもあった私は1日中スマホと向き合い気を紛らわせていたんです。


ところが日が経つごとに、この病院の世界を目にして

高齢の方の意味の分からない言葉や行動に私は、その人たちの背景を考えていました。

きっと、以前は家族と楽しく笑って過ごしていたのかもしれない。

家事、育児や仕事をテキパキとこなし動き回っていたのかな?

助けてと叫んでいた女性の子供さんたちは?


いったい、どんな人生を歩んできたのだろう・・・


どうか入院する前は幸せな人生だったと思いたくて仕方がありませんでした。

そして、この先もと願わずにはいられなかったんです。


それは私には顔も知らない声だけの人もです。


薄れいく記憶のなかで看護師さんに暴言を吐いている人たちは、以前はきっと優しい笑顔で誰かと接していたのかもしれない。

それを汲み取ってあげたり、時にイライラをぶつける看護師さんたち。


みんなそれぞれに私には計り知れない人生のストーリーが存在している気がしてなりませんでした。


今まで、自分の置かれてる場所が仕事や人生の全てで、目に見えること目の前の人に没頭してそれ以外の仕事や誰かの人生を深く考えてもみませんでした。


病院は決して明るい場所ではありません


ですが、こんなにも自分が知らない誰かの背景を考えたことはなかったと思います。


ここは、私にとってとても辛く悲しみが溢れた場所でした。


そして人生の重みを改めて考えさせられる場所でもありました。


もう、数年前の話ですが今でも、この光景は鮮明に覚えています。

知ってはいたものの、過酷な労働環境や認知症の人たちを実際に見て、想像以上の場所に思い出すとまた心が痛みます。

整形外科ということもあって正直動けない人がほとんどで全て看護師さんのお世話になっています。


過酷な労働の中でたくさんお世話になった先生や看護師さんに頭が下がります🙇

おしまい


本日のまとめ

「人生の中には全ての人に幸せという文字があってほしい」です


入院期間の中でたくさんの経験をしました。

怪我は辛かったですが、私にとってとても貴重だったと思います。

病室の中で私が1番最初に退院したのですが、もうきっと会うことのない患者さんたちのその後が気になりますが聞いてきた声を私は忘れることはありません。


少し暗い話になりましたが、旦那さんがガンと言っていた女性は先生と話をして退院を早めてもらって喜んでいました😊

同じ部屋の中で仲良くなったりした人もいて女子トーク?に花が咲くこともありましたね😄


息子や職場の人達から届く物に日々感謝しました。

そして何よりコロナ渦で病室に入れなかった友達が毎日外から手を振ってくれたこと嬉しかったです😭

あ、二週間の入院を経てリハビリをこなし職場に復帰した時はパートさんは立派に成長していました😄

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