関ヶ原の戦いのあとしまつ

1600年の関ヶ原の戦いに勝った東軍
家康軍ではあったがこの戦いに徳川本隊が参加しておらず、豊臣恩顧の大名達が戦って勝利を得た。
3万余の軍隊を率いる秀忠が連絡不徹底と真田勢の抵抗にあって、関ヶ原の戦いには間に合わず。
この事が後に東軍の徳川家康の天下取りがスムースに行かなかった原因の一つではあった。
そもそもこの関ヶ原の戦いが、東軍と西軍の戦いではあるが双方共秀頼の為の戦いと言う大義を持って戦った。
その結果秀頼がいる限り徳川家康の天下は無い。
この時点では家康は豊臣家を滅ぼすことは考えていなかったかもしれない。

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