なぜ私は「霊言」を信じられたのか?

霊言を 違和感なく、信じた私には
信じないという人がいることが 信じられませんでした。

逆の立場から見れば、
なぜ 霊言を信じるような人がいるのか 信じられないと思う人もいるはずです。

その 大きな 溝を 越えることができるのかと考えることがあります。

ただ 、社会的に影響力のある保守系雑誌の編集長として長く活躍されている方が
霊言を イタコ芸だとか、資料を集めて作った創作だと嘯く人の言葉を信じるのは、あまりにも お粗末な気がします。


神からの啓示や天啓を受ける人が 連綿と続いてきたということは  旧約聖書などを読むだけでも分かりますし、世界的に普遍的なものであったはずです。

ただ 私が なぜ 霊言を本物だと信じることが出来たのかと改めて考えて見ることにしました。

やはり、 初期に出された 霊言集のなかの言葉のひとつひとつに 真実なるものを 感じたからとしかいいようがないので、40年近く前に読んだ霊言集を引っ張り出してきて また読み直してみました。


空海の霊言   に収録されている
恵果阿闍梨の霊訓
(真言八祖先中七祖  746―805)
中国唐代の僧で 日本から渡った空海に密教の秘奥をことごとく授けた方です。

この霊言は 1983年8月12日の霊示とされ、
霊声者 、大川隆法、対話者、善川三朗 となっています。

大川隆法総裁先生が 27歳 商社勤務をまだされていた頃に ご実家で収録されたものと思われます。

そこでは 霊能者、宗教家として教えを説く前に立ちはだかる霊的な妨害、悪魔との戦いについて 善川三朗先生が 恵果阿闍梨にお尋ねしている箇所があります。

善川  :この間に、サタンの攻撃というものがありまして、ひじょうに苦しめられる場合があるのですが、失礼ですがあなたも当時霊道を開いておられましたね。

恵果 :はい おりました。やはり同じことなのです。だれ一人として避けるはできません。釈迦といわれた方も、イエスといわれた方も、その他の高名な仏教者たちも、霊道をいったん開いたならば、そのときの心の状態に応じて、天上界のものも、地獄界のものも入ってこれます。わたくし自身も大変な、ひじょうに苦しい日々を送りました。魔に負けかけたことも何度も、一度や二度ではありません。このようなもの、闘いということはー私たち特殊な能力をもったものたちは、それだけまた重荷を負わされているというか、人以上の試練を受けるということも、やむを得ないこととなっております。私たち元々ある程度悟った存在であります。それが肉体を持つと忘れるものでありますが、私たち霊能力者たちは、要するに天上界の生活を知っており、忘れていないものであります。このままでは修行にはなりません。更に厳しい環境に置かれるわけです。

また 1983年11月2日収録の
恵果阿闍梨餅の霊訓では 

次のようなことを恵果阿闍梨と 善川三朗先生が話されています。
人間の破壊的想念(が戦争や天変地異を引き起こすおそれ)に対する質問に

恵果阿闍梨の答えは

その都市に住んでいる人々はたとえ一年後に亡くなるとしても、すべて壊滅するとしても、その一年間は、どう一生懸命に彼らが生きることができるかということが大切なことなのです。そうではないでしょうか。目的をどうか誤らないで頂きたいのです。この世的な幸福、不幸ではないんです。根本的な
人間の生とは一体何であるかということを、あなた方は教えなければならないのです。

むしろ災害とか、様々な人災が起きてくるときに、動揺することなかれ、不動心を持てーたとえ一時間後に死すとも、揺るぐことのない人生観を持ちなさい、というのが、あなた方の仕事なんです。

この世的な幸福、不幸ではないんです。


根本的な人間の生とは一体何であるか


たとえ一時間後に死すとも、揺るぐことのない人生観を持ちなさい


このような言葉の数々が イタコ芸なのでしょうか。
私には 天上世界から降りてきて 当然の言葉だと思えました。

40年間近く 霊言も読んだり 公開霊言の収録映像を拝聴させていただいたり、 公開霊言の場でなく 大悟館で収録された音声のみの霊言も聴かせていただいています。

霊言は 本物です。

せめて、ジャーナリズムの世界に身を置く方は 心を澄ませて書籍を読んでいただきたいと思う次第です。

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