自らの心と向き合うことが一番難しい

幸福の科学で学んでいて思うのは、

私のなかにある誤りは

説法を聞いたり、経典を読んだり、祈願受けたり、研修を受けただけで、悟った?分かったような気持ちになって浅い理解で終わっているところだと思います。

ただ 情報や知識として得ただけなのに それを実践できているかのように 思い上がってしまって人を裁きの目で見ていないかどうか。
そこに大きな間違いがあります。
正心法語を毎日読誦していても
祈願を受けていても
いくらお布施をしていても

確かに一歩 修行の方向に踏み出しているのかもしれないけれども、
それは 仏の願われている悟りとは程遠いのだと思います。

自分の中の仏性を磨きだすのは、
そのまま ありのままの姿を認めるというのとはまた違って、厳しいものだと思います。

わがままに自己中心的になっている自己を
反省によって変えていくという修行が必要です。

自己肯定感という言葉が最近よく使われますが この自己肯定感も 下手をすると仏性を宿した本来の自己を磨きだすというより、
好き勝手に生きたい私をまるごと認めてよ!という傲慢なものに成ってしまう可能性があります。

過去の転生の過程で身につけた 業(カルマ)の中には 過去世で学んだ宗教の下で、正しいと思って掴んでいた教えや心の傾向もあるかもしれません。

仏陀が下生されて 法を説かれるときというのは その間違った自分の魂の傾向を 変えていける希有な、チャンスでもあるのです。

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