宗教がなくとも構わないという意見は今の日本には拡がっていると思います。
地方の古い家屋を除いて
新築の住宅紹介を見ても
神棚や仏壇を配置する
スペースがない家がほとんどです。
道徳心があれば宗教は必要ないのでしょうか。
宗教が連綿と人類史のなかで続いてきた理由は何なのでしょうか。
大悟の法 第4章 「大悟の瞬間」に収められた法話が上がっています。
道徳が この世で完結するのに対して
宗教は 肉体を去った後の人生にも
影響を持つものと考えていいでしょう。
どうしても 宗教には「死」と向かい合わざるを得ない人間の根源的な問いかけに答えるものではないかと思うのです。
この大悟の瞬間の説法のなかで
自他一体の悟り
について釈尊の悟りを例に話されています。
道徳心とは違う点は
人間が霊的な存在であることを知って
肉体的には我と別の存在である他人と
いうものが、霊的な世界では本当はつながっているということを悟ったとき
他人に優しくする 親切にする、思いやるといった道徳的に良いとされる行動が 本当はもっと深いものであると知るということだと思うのです。
大川隆法総裁先生が地上に降りられて、困難な宗教家としての道を歩まれたのも、現代の世界で、忘れ去られて久しい 心の法則を 再び蘇えさせて新しい生命を吹き込むことにもあったのだと思ったりします。
今は無我の教えを 霊魂が無いと捉える仏教学者が僧侶の教育にあたることもあると聞いて驚きます。釈尊の悟りが全く分かっていないということだと思います。
霊的なものやスピリチュアルに傾倒してしまう傾向は私のなかにもあると思います。
でも それでは駄目ですよと 教えられているのですね。
他の人への愛が実践できているか
日々与えられているものに感謝の心を持って生活しているか
自分のの心の中にまずユートピアを作り
それを周囲に拡げていくことが出来ているかが問われています。
共産主義思想のなかにも 弱い立場の人への愛があるとは思うのです
が、
それが機能しなくなるのはやはり自らの心を見つめ、神仏の目からみての自他一体の境地
から来る愛ではなくて
物質的なこの世のみの視点で幸福を追い求めているからのように思います。