「他人軸」「自分軸」とは言うけれど では「神様軸」は?

神様軸が無いと言う方がいました。
考えてみれば、最近よく聞く自分軸


自分の考えを持って
生き方や行動を決めることが
出来なかったことに気づいた人が、
他の誰かの価値観を押し付けられて
生きてきたなと気がついた人が、

自分軸で 生きるという言葉には
魅力を感じるようです。

ただ ここにも落とし穴があるように思う。

人それぞれが自分に良かれという
自分軸で生きて生きたときに
この自分軸同士が、ぶつかった時の
調停は、どうするのかということです。

信仰を持つ人が 語った 神様軸
という言葉には
神様ならどうお考えになるのかという
視点があります。

自我を客観視する上で
他の人間ではなく
神様の視点で
考えてみることになります。

神様のお考えをを学ぶ場が
宗教になると思えるのですが、
ここにもひとつの限界が来ることが
あります。

それは、民族神、地球神、造物主としての神
どの 神様のお考えなのかということ。
日本の神様と
キリスト教の神様
中東の神様
南米の神様
中国の神様

それぞれにお考えが違うときには
どの神様の教えを学ぶのかということです。
どの考えに合わせていけばよいのかということです。
ここで迷いが出てくるわけです。
他の教えを理解できずに
宗教間の争いが起きたりするのだと思います。




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