霊的現象を認めたくない

2013年4月に
「ガリレオの変心」という霊言が収録されています。
この背景には当時人気のあったドラマ
東野圭吾原作
ガリレオシリーズで総裁先生が気になったことがあったのです。

湯川学という天才的な物理学者が
心霊現象や、超常現状の嘘を見破るというストーリー展開が 、
霊的世界や霊言現象をインチキだと印象づけてしまうことへのカウンター的な意味合いもあったようです。

前書きにはこうあります。

唯物論の片棒を担ぐのには限度がある。私は日本を中国のような宗教団体弾圧の国にはしたくはない。霊魂の存在は100%である。人間は頭脳で考えているのではなく、あくまでも心(魂の中心)で考え、脳をコンピューターがわりに使っているだけだ。

招霊されたのは ガリレオ ・ガリレイの霊

地球の回りを太陽や星々が動いている天動説が常識とされた中世キリスト教社会で

地球が太陽の周りを回っている地動説
を唱えた科学者 ガリレオ・ガリレイは
異端審問に問われます。

それでも 地球は動いている と言った言葉は有名です。

この霊言集では  科学者の霊に 心霊現象や 科学と宗教の在りかたについて問いかけるといった面白いものになっています。

その中で 当時広報局担当だった質問者が

ガリレオ先生が地上におられた時代、16世紀から17世紀にかけての当時は、物理的な研究だけではなく、霊魂の研究も含めて、キリスト教会が蓋をし、研究をさせないようにしていたと思います。
霊魂や超常現象、あるいは、奇跡の研究の方も、ある人は意味では抑え込んでいて、そのなかで、「科学が、唯物論的に、物のほうだけにかかわって進歩した」と、私は理解していますし、そのように説明する人もいるのですが、当時の、そういうものに蓋をした教会について、先生はいかがお考えでしょうか。

と尋ねています。

それに対しての答え

ガリレオ:何でも、人の評判を得たり、、人気が出たりしたりして、影響力が出てくるものというのは怖いからですねぇ。

霊的な現象は、本来、教会で起きなければならないものだけど、教会でない所々で起きたりすると、自分たちの管理下にないので面白くないですよね。
 だから、「認めたくない」という気持ちが働いて、結果的には、心霊現象を認めない力の方が強くなってくる。
 やはり、人間的な仕事や保身の力のほうが働いてくるようになるわけですね。

それから、ー中略ー
例えば、木と鉄なら「木のほうがゆっくり落ちて、鉄が早く落ちるだろう」と思う。みんな、これを常識的というか、先入観的には、必ず、そう考えるものです。それを実験もしないでうたがわない人が、ほとんどであるわけですよね。
 私は、「そういうものを、あえて疑うことが科学だ」と思うんですが(普通の人は)けっこう、先入観で、常識的にそう見えるものを信じてしまう。
ー中略ー
教会の人には、「自分たちの常識」を「イエスの教え」と一緒にしてしまうところもあります。
 だから、『聖書』には「イエスの時代に奇跡が起きた」ということが書かれているけれども、「イエス以外の時代には起きないのだ」という方向に持っていきたがる。もし、起きるんだったら、教皇である自分に起こせなければいけないし、大司教や司教など、教会で地位のある人たちが、病気を治せたり、水をワインに変えたりできなきゃいけないわけですね。
 

神を信じる者であっても、

保身、先入観、嫉妬など 様々な要因で真理は埋もれてしまうものだと思います。

真理に対する開かれた心と
神仏の心を純粋に追い求める姿勢が
宗教者から失われてしまうと
この世の常識の世界のなかで
世俗権力に利用される道具として
使われるだけになっていくのかもしれません。

本当に 毎日 自分の心を見つめて 方向を修正していかねば😰

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