泥中の花

勇気を貰えた説法でした。

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この世の中は
すべてを浄化してきれいにするようなことはできない

しかし、その泥の中でも
蓮の花が咲くように
あなたがたも 一輪の花を咲かせなさい

それが あなたの環境の中における悟りなんだ
ということなんですね

その環境自体を変えることはできない
あなたがたが味わったその過去の不幸
それ自体を 全部 帳消しにすることはできない

しかし 同じ環境の中にあっても
全員が全員ですね
不幸な環境に生まれたから
不幸な最後までいかなきゃいけないと
いうわけじゃないでしょうと

その中で あなた方は 心を磨いて
自分の道を求めて
一輪の花を咲かすことは
できるんじゃないですかと
そういうことを
(仏陀)は説いていたわけですね
それは どの人にも可能なはずですよと
その意味での悟りはありえる

あなたの境遇、境涯、環境の中において 一輪の花を咲かせる

という悟りはありえる

客観的な条件が全部そろえば 幸福って
こんなことはないです

人がうらやむような環境に生まれて
すべての条件を持っているような人で
やはり心は虚しく暗い人は たくさんいる

しかし ささやかな 環境のなかでも
光り輝いている人は たくさんいる

仏教的には その光り輝きを
目指し取ることが大事なんだと
だから あなたがたは

周りの環境や あるいは自分自身の
いままでの生き方や いまの心を見れば
泥沼かもしれないけれど
そこから ささやかでもいいから
悟りの花を咲かせない

ということですね

どのような環境下においても
自分なりの一輪の花を咲かす

ということが

人生は 一冊の問題集である
という言葉に対する
答えでもあるということですね


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何かと厳しい時代にも
哀しみのなかにあるときにも
この言葉は 私を支えてくれています。

仏の 愛は
環境をすべて整えてくれるようなものではないですが

ある意味では 環境はすべて与えられているのです。

「今」の時代 「今」の
自分の環境や 状況で
何を掴みとるのかということが
何を選び取るのかが 魂の糧となって
残っていくのだろうと思うのです。

社会の状況に対して、
政治的に具体的に変えていく
といった 全体の悟りもあるのでしょうが

どのような環境の中にあっても
自分の心のなかに ユートピアを作る
幸せを発見するという
喜びがなければ 空しいかもしれません。

あなたと 私の 人生の問題集は
それぞれ 違った 問題が 用意されて
私は 私のレベルに見合った問題を
今世 解かないといけないのでしょう。

逃げたい時もありますけれども
解いていない問題が 宿題となって
来世に持ち越されてしまうかもしれません。

逃げないで 生きたいと思います。



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