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ロシアを立て直した信仰の力と西側指導者が見失ったもの

原口一博さんが タッカーカールソンのプーチン大統領インタビューを 詳しく解説している動画からです。

冒頭のシーンは1時間30分頃でしょうか。

日本のテレビなどで目にする、ジャーナリストが 敵対している相手国の大統領にインタビューしている内容とは一線を画する 深いものがありました。

キリスト教徒のタッカーカールソンとロシア正教のプーチン大統領の大統領の対談は 宗教に無関心になった日本のジャーナリストからは出ない質問でしょう。

どの国の指導者であれ 殺人をしなければならない指導者がどうしてキリスト教を信仰できるでしょうか

この問いかけは 質問者に宗教的関心がなければ出ない質問でしょう。

キリスト教の

 汝の敵を愛せよ
右の頬を打たれれば左の頬を差し出せ

という教えは ロシア正教という 宗派は違えど同じく神を信じる 政治的主導者プーチンからどのように 解釈されるのでしょうか?

これは興味津々です。

プーチンの答えはこうです。


タッカーの問いかけには ここで プーチンは
政治家としての現実を直視した答えをしているのです。

祖国と国民を護る


神を信じることは 毎日教会に行くことでも床に頭を打ちつけることでもない


国のリーダーとしてのあるべき信仰を プーチンはここで語っています。

立憲民主党の原口さんは
プーチンは 片方で神との交信をしながら片方で醒めた法学者の目で国際政治を見ている
四次元的な人間であると評しています。

我田引水になるかもしれませんが、
幸福実現党が 核保有も考えるべきというのも この理想と現実のバランスに則ったものになるのです。

現実の国際社会はパワーバランスで動いています。
平和 平和 と唱えさえすれば
平和が 実現するということではないのです。


日本と同じ価値観に世界がすでになっていて 他国への侵略は悪であり、他国の資源を力で持って奪うことは悪であるから 絶対にそのような行為は犯さないという 国ばかりであれば
今起きている世界の混乱は無いでしょう。

リーダーは 時に苦しい決断を迫られます。

兵士として戦場に赴いたものの
人を殺すなかれという教えに従って
銃を取らなかった青年の実話が映画になり、
感動を呼んだことがありますが、

もし 祖国と 家族や同胞が 攻撃を受けていながら 護ることができない兵士ばかりであれば
その国の人々は 奴隷になるか 、生命を失うことになるでしょう。

プーチンは このように語っています。

祖国と家族は特別な感情で結ばれています。

国全体、祖国の正常で持続可能な未来を保証しない限り、子供たちや家族の正常な未来を保証することは不可能だからです。


プーチンのこの言葉は 今の日本の危機がどこにあるかを認識させてくれています。

日本は 自分達で自分の国を護ることを悪だと考える人達が 教育現場にも、政治家にも 存在して 国を動かしているのです。

ロシア正教会を復活させたプーチンは 神を信ずる心を持っています。
プーチンの母親は熱心な信仰を持っていたとも聞いたことがあります。
神によって与えられた自由意思を蹂躙された共産主義社会を経験したリーダーは、神の存在しない人間至上主義の限界を 西洋社会の今に 見ているのだと思います。
  
しかし、同時にKGBという諜報機関の出身だからこそ見える 国際政治のリアリズムを 融合させています。

おそらく 今の西側の指導者では プーチンに太刀打ちできないのではないでしょうか。


立憲民主党の原口さんは
 台湾有事は日本の有事だという日本の保守は 戦争屋に踊らさらており、 日本を戦争に引きずり込む罠だと捕らえています。

ウクライナが アメリカとロシアの代理戦争に使われたように、
日本も
アメリカと中国の争いの代理戦争の場として利用されるー

おそらくその通りだと思います。

ただ 台湾のバーシー海峡を抑えられると日本には エネルギーが入ってこなくなります。
日本の生殺与奪を 中国が握ることになり、アメリカから中国への属国化となる道筋にも繋がりかねませんので、ここは少し考えを深めたいところです。

香港からカナダに亡命したアグネス ・チョウさんに中国共産党政府が 逮捕状を出しているのを見ても 自由な政治活動は 中国では一切許されていないのです。

問題は アメリカもまた 中国と同じような 政治的な自由や言論の自由が無い国家になりつつあるということなのです。

日本のリーダー達の精神世界も 
この中国やアメリカのような 唯物的 拝金主義に侵食されつつあるなかで 国や未来の子供たちを守る未来を創るために大切なことは何か

 原口さんは 大和心と仰いましたが、日本人が信仰を取り戻すことが必要だと思います。

政教分離を持ってきて 宗教を叩けば それでよしという風潮には浅薄なものを感じますし、日本の中国化に拍車を駆けるものとなるでしょう。

問題は 宗教と政治家の関係ではなくて 
その宗教が 日本を他国へ売り渡したり、
日本の安全保障を脅かしているものかどうかの判断で考えるべきなのです。

一律に 信仰を持つものを政治から排除しようとする現在の動きには 危ういものを感じてなりません。
 




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