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少子化の時代に幸福の科学はなぜ大学を創ったのか

大学 と書きましたが 正確には 大学に相当する教育機関です。

残念なことに 母胎となる宗教法人が 霊言を出しているということで 大学に設置審議会選考で認可には至っていませんが、それでも2014年にHSUとして開学しています。

国からの認可を得られなかったことの
デメリットは 国からの補助金が入らないということや 卒業生に 大卒の資格が得られないということになるでしょうか。


文部科学省に大学前設置認可申請を出していたのは2013年くらいだったのでしょうか?


宗教を母胎とした大学のなかでも 天理大学などは 天理王命と名乗る神霊からの啓示を受けて始まった天理教が母胎ですから 霊言を出していることを理由に 大学設置を 拒否するというのは 道理が通らないのです。



先月 ハッピーサイエンスユニバーシティの教授陣が出した
「新しい学問の創造」という本が出ていたので読んでみました。




なぜ 大川隆法総裁が 大学を創ろうと思われたのか?

2013年当初にも 
新しき大学の理念という書籍で読んではいたのですが、今の世情を見るにつけ
改めて 思うことが様々あります。


大川先生はこのように語られています。

数はあれども満たせていないニーズがあるのではないか

日本独自のオリジナルな文化を発信できるようなものが必要であると同時に
キリスト教文化圏以外のものについて目を配りながら「今後の世界は、どう成るべきかか」ということをデザインしていく力が必要だと思うのです。

したがって、今、あえて新しい大学を創り、世に問う理由があるとすれば、「新文明の発信基地」としての大学「新しい学問を創造する場」としての大学を創りたいということです。


この世限りのもので 「有用であれば給料になって返ってくる」という考え方の危険性


「これは正しいのかどうか」という根本の部分についての考え方を忘れてはなりません。

道徳的基礎、宗教的基礎の部分になるでしょう。一方 「そういう部分がなくても企業経営は成り立つ」という考えや「とにかく金儲けをすればよい」という考えでは、悪の脇道にそれていく可能性が高いのです。
そうした思想的なバックグラウンドの部分がないのに、「常にお客さんの方を見ていることが大事」「お客様第一、顧客第一」などと言っていたとしても、それが「相手を騙してもでも、よい仕事をしているように見せればよい」というように軽い思想に流れていくならば、底の浅い考えだと言わざるを得ません。

新しき大学の理念

「神仏の目から見て、自分のやろうとしていることは正しいのか」
「自分の学問研究や職業の成就は、はたして正しいことなのか」ということです。
ー中略ー
やはり、元なる道徳律がなかったら、職業としては、「何でもあり」となってしまう恐れがあります。この世的なら技術や情報にもとづいてできることが増えてきているとは思いますが、そこには、「根本的なるもの」がなければいけないのです。

新しき大学の理念

日本の民主主義を動かしているマスコミに関しても同じことが言えるでしょう。「ただ、知識・情報だけで、人の心を操作できる」と思っているならば、暴走を招き、国の破滅を招くことだってありえるわけです。「『記事を書いて売り上げをを伸ばそう』という思いのもとにある動機は善か。そこに写真はないか。この国に対し、本当に『よかれ』と思ってやっているのか。単に『給料が増えればよい』とか『この号が売れればよい』とかいうことだけでやっていないか」ということを問う学問があってもよいのでは無いのかと思います。

新しき大学の理念

「神仏の目から見て、自分のやろうとしていることは正しいのか」

「自分の学問研究や職業の成就は、はたして正しいことなのか」ということです。


今 世界中で このような視点が失われつつあるように思えるのです。


キリスト教国であった アメリカも 科学の進展と共に 自らの学問研究や職業的成功が 神の目から見て 正しいことなのかを、問うということはなくなっています。

アンソニー・ファウチ氏が 
危険だということでアメリカ国内ではできず、かつ一度は予算もつかなくなったウィルスや細菌研究を  迂回する形予算を使い、中国の研究施設で続けさせていたという 情報も出てきていますが、

これなども 科学分野における業績や発見を優先する考えが あるからで

その科学技術や発見が 人類の幸福にとってどういう意味を持つのかという 神の視点が失われていることにも 遠因があるように思えてなりません。


国籍のない個人や企業家が この世だけの利便性や利益を求めて作り上げ、
単一化社会へと進もうとしているようなかにあって

 未来社会を本当に人類にとって幸福なものにするための学問の創設が必要なのだと思われます。

大学設立のために 大川隆法総裁が 説かれた講話は何十冊もの書籍群となっています。

質問者を前に語られた対話形式のものもあり
論文的なものではなくて 話し言葉で平易な文章でありますが 

内容は 深く深く
  ひとつひとつの言葉を考えながら読むと日々の情報を追い掛けて感想を書くような作業では とても語り尽くせないものであることを 感じています。

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