すべての人に永遠の生命がある
2007年の法シリーズは復活の法でした。
発刊された当初
何故
復活の法
なのか わからなかったのですが、
随分後になって
2004年に大川隆法総裁先生が 医学的には「死」を宣告されるような事態であったことが 明かされました。
その状態から 復活されたということをも意味する「復活の法」だったということを知りました。
映画「 世界から希望が消えたなら 」は その頃の様子が描かれた自伝的映画になっています。
大川隆法総裁が 大学卒業前に 日興と名乗る霊人から始まり日蓮聖人からの霊示を受けられたとき。
商社マンとしてこの世の出世コースを選ぶのか、
宗教家として立つべきなのかという選択のなか
この世の栄達を勧める悪魔の声を断ち切り 降魔成道を果たされて 商社マンを退社されたとき
死を前にして 救世主としての仕事をさらに進め出されたとき
死の宣告を家族が医師から告げられた後
「 死なない」救世主として立ち上がられた頃の説法が 「復活の法」のなかに収録されています。
第1章は
生死(しょうじ)を越える道
ーすべての人に永遠の生命があるー
というお話です。
釈尊が出家した 原因となった 生老病死の四苦
現在の 日本も 世界も 新たなウィルスの出現や ワクチンによる副作用による死亡事故なども含め 多くの人が この病や死の問題に直面しているといえます。
何故 この人が死ななければならなかったのかという 疑問は常に付きまとっています。特に若い方、幼い子を遺して逝く方の無念はいかばかりかと思う。
子供を喪つた親の嘆きは慰めようもなく…かける言葉もありません。
2500年以上昔のインドでも 同じです。
お釈迦様の時代にこんな話があったようです。幼い我が子を亡くした母親が生き返らせて欲しいとお釈迦様にお願いをされます。
お釈迦様は 死者を出したことの無い家にある芥子の実を持ってきなさいと その母親に言われるのです。
芥子の実はどの家庭にもありましたが 死者を出したことの無い家はどこにもありませんでした。
母親は この世は無常であること、この世の生命は消えゆくものであることを悟って出家されたというお話が残っています。
宗教の役割とは
この世だけの幸福の追求ではなく
あの世を貫く幸福を求めるものになります。
その幸福とは この世が全てだと考える人の幸福とは 少し違っているかもしれません。
この肉体の生命が全てで人生がこの世限りだと考えると 自分がどれだけ安楽に生き 豊かに暮らせたらそれで幸福だと考える人もいるかもしれません。
けれども この世の幸福追求の結果があの世での苦しみに繋がることも有り得ると知っている人は
この世での生き方があの世でも幸福に繋がるような生き方を考えるようになります。
自分の喜びが 他の人の苦しみや悲しみに繋がるような生き方ではなく
自他共に喜べるような生き方をしたいと願うようになります。
そして、神様に喜ばれるような生き方をしたいと考えるようになります。
本来の宗教とは、そうした心を
忘れないために
魂が より愛深くなり 成長するために
神仏から 降ろされたものであった筈です。
この世だけの幸福追求する宗教組織になってしまっては
本来の 使命から離れていってしまっているのではないでしょうか。
復活の法 前書きは2007年1月
そして あとがきの中の一文にはこうあります。
と。
2007年から2023年までの間に 法が浸透したとは言えません
今年の根本経典は 地獄の法になりました。あらかじめ決まっていたことなのか、それともここまで説かないといけない状況になったのか…
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