政治のバッグボーンに必要なもの 幸福実現党の政治哲学とは 自由の創設
2009年5月14日に語られた
水平権力の時代が
書籍政治の理想についてに
収録されています。
行き当たりバッタリの政治ではなく
どのような 政治思想 政治哲学を持っているのか
幸福実現党を立党したとき
その哲学がどこにあったのかを知る法話
のいくつかが収録されているのが
この
政治の理想について
なのです。
政治思想、政治哲学というものは非常に大事です。
このバッグボーンのところが、どういうものであるかによって、現実に現れてくる活動や坑道が大きく変化していくのです。
現実の政治のいろいろな場面で、予想もしなかった未知の問題がたくさん出てくるわけですが、そのときに 深い政治思想、政治哲学を持っていると 「その根本の哲学に照らしてみれば、こういう方向で考えるべきではないか」というアイデアが出てくるわけです。
政治哲学のところで、一本筋が通っていさえいれば、ある意味でその後の政治的な方針というものが、何十年も先まで見えてくるところがあるわけです。
そして、
政治の理想をどこに置くかということは
根本的には 人間の幸福を何と見るかに懸かってくるものだ思います。
以前 及川さんが宗教を母胎とする幸福実現党は公明党と何が違うのかを質問されて
幸福実現党は 自由を
公明党は 平等を
重視する政党
といった違いがありますと答えていました。
幸福実現党は 自由と平等の考え方のうち
自由を重視する思想が根底にあります。
政治の理想を平等に求めていく社会の現状は
おそらく「格差」があり
持てるものと 持たざるものとの間の断絶があり、貧困問題がある社会だと思います。
ただ 究極の理想を「平等」におくと
人間の幸福の追及という点からみると
あまり 幸福でない社会が出現しそうです。
幸福実現党を創立した大川隆法総裁は
政治の理想をハンナ・アーレントの
「自由の創設」というところにみています。
「政治に参加することによって自由を創設することが、人間としての尊い活動であって。人間はそのなかで幸福を感じるのだ」ということです。
政治参加における自由と平等
憲法を変えることができなければ国民に政治的自由はないとも言われています。
現行憲法改正については 多くの議論がありますが 時代に合わなくなり 国民の幸福を侵害するようなものになってるとすれば 変えていかなくてはなりません。
その議論すらできないというのはおかしいのですが 講演された2009年と
現在2023年とでは
日本や世界を取り巻く環境も
より厳しさを増しています。
ゆっくりした議論を尽くすこともできない差し迫った場面も起きるでしょう。
第三次世界対戦も すでに始まっているとも言える状況も起きているように感じます。
その時に
どさくさに紛れて国民を護るためという名目で国民の自由を奪っていく方向に流れて行こうとしているように見受けられます。
お上が 国民を支配するような政治ではなく国民一人1人に政治に参加できるような社会をつくりたいということです。
そのための 一人一票という選挙権以外に本当の平等などはないと大川隆法総裁は言っています。
国民一人ひとりも「政治は自分には関係がない」と思わないででいただきたいのです。本当の平等が、ありうるとしたら「投票において一人一票が与えられる」ということ以外はないのです。そのほかには本当の平等などありません。
水平権力が自由を守ることが創設する。
水平権力とは何でしょうか。
権力というものは放置すると、とにかく垂直になっていくのです。「上から下へ」という権力構造が必ずできてきます。
為政者というものは 憲法に「国民に奉仕しなければならない」「国民の公僕である」「全国民のための奉仕者である」などといくら書いてあっても為政者の立場に立つとやはり、威張って権力を行使し、「自分はお上であり、お前たちは僕である」というように考えるものです。憲法などに、「為政者であるあなたがたが 僕である」といくら書かれていても、やはり、その立場に立つと垂直権力になりやすいのです。
垂直権力の最たるものは世襲制や貴族制ですしょう。しかし、公的領域における政治空間で自由を創設することが、民主主義の最大の理想である」ということを考えるならば、やはり水平権力というものを常に考えておかねばなりません。
水平権力というのは何かというと前述した「一人一票」の思想です。
「政治に参加する権利、および政治家になる権利は誰に対しても平等に開かれていて、それについて身分の差はない」ということです。
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