心配するより応援してあげなさい

長年お世話になっている知人が 体調不良で検査結果待ちという事を聞いて いろいろ考え込んでいると

夫が

心配するより 応援してあげなさい

という言葉をくれました。

考えてみれば
心配は  悲観

応援は 楽観

心配されるとされる側も 心配する人を慰めないといけない気がしますが

応援されると そのまま気持ちを受ける事ができる気がします。

心配は 自分のため

応援は 相手のため

かもしれないと思えてきました。

幸福の科学では 愛を与えるということの大切さを教えていますが、本人は 愛を与えているつもりで愛を奪っている事が多いのかもしれません。

夫は 幸福の科学の経典は ほとんど読みません。
私は 発刊される本は ほとんど読んでいたので
仏法真理については 自分の方がよく知っていると思っています。

だから 人生の諸問題についてアドバイスを受けたときに  スッと素直に受け止めるのではなく あなたはそんなに仏法真理学んでいないよね。あなたも ちょっとは 経典も読んでから言って。
という思いが沸いて 内心 ちょっと上から目線になっていることが多いのだと思います。

夫の側 相手側にとっては

宗教で信仰をしているという者の思い上がり 慢心で 嫌なところだと思います。

宗教の信者が 時に嫌がられるのは、こういう思い上がりかもしれません。

本当は 神様の 言葉というのは 時には 自分自身が 教義を学んだ中から、直接受け止めて引き出すものばかりでなく
他人の声を通じても 必要な時に届けられているのかもしれません。

心を素直に 謙虚にしていないと 自分よりも若い人や子供、部下、目下の人だと思っている人からの言葉を軽視してしまうかもしれません。

宮本武蔵 や太閤記を書いた作家の吉川英治

吉川英治 https://g.co/kgs/x2DA3q

この方の座右の銘は

         我 以外 皆師

だったそうです。

信仰をしている者の 慢心や 傲慢を戒めるうえで大切な言葉だと心に留めておきたい言葉です。


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