多様な考えがあることを受け入れながらも より神仏の心に近い方向を選びとれるかの修行

宗教が 嫌われる理由のひとつに 教条主義があるのかなと考えることがあります。

教条主義の意味を調べると

「状況や現実を無視して、ある特定の原理・原則に固執する応用のきかない考え方や態度。 特にマルクス主義において、歴史的情勢を無視して、原則論を機械的に適用しようとする公式主義をいう。 ドグマチズム。」

また 原理主義というものもあります。
原理主義の言葉は

キリスト教で、聖書の無謬性を信じ、キリストの処女降誕・贖罪・復活・奇跡などを歴史的事実として認識する信仰上の立場。進化論や聖書の批判的解釈を容認する近代主義に対抗する運動として、1900年代初期に米国のプロテスタント諸派内で生じた。根本主義。ファンダメンタリズム。
一般に、基本的な理念や原理原則を厳格に守ろうとする立場。市場原理主義など。
1から転じて》聖典や教義を忠実に解釈し実践しようとする思想や運動。イスラム原理主義など

原理主義はキリスト教の聖書の無謬性を信ずるというところから 出てきた ものなのですね。

では 教条主義と原理主義の違いは何でしょうか。これも調べてみると

「教条主義」とは、「現実や状況を考慮せず、特定の原則や原理に固執して、応用の利かない思考や態度」を意味する言葉です。

「原理主義」「キリスト教において、聖書の正当性を信じ、聖書に記されている内容を歴史的事実として認識する信仰上の立場」「一般的に、基本的な原理原則、理念を厳守しようする立場」などの意味を含める言葉です。

「教条主義」は批判的かつネガティブなニュアンスを含みますが、「原理主義」には含まれません。

ということで 教条主義はネガティブなニュアンスを含みますが 原理主義には含まれないとありますね。

それで 幸福の科学は どうなのかなぁと考えてみますと、信者になっているからと思われるかもしれないのですが、

個人的には 
この教条主義からも 原理主義からも一番遠い思想を大川隆法総裁は持たれているように思います。


むしろ 私たち 信者や弟子達のほうが
時に 教条主義や原理主義に陥りやすい
のでは?
と感じることがあるのです。

映画 宇宙の法(エローヒム編)のなかで、
地球会議が召集される場面があります。

地球の存亡の危機に際し 地球に関係のある星々のリーダーと、地球に住む様々な種族が意見を述べ合う会議です。

各星のリーダーや 地球の様々な人々に

神によって作られた存在であるということにおいて尊さは平等
正しいと思うことをそれぞれ述べててよろしい。


答えが出ぬものや対立する意見に対してこうい台詞が出てきます

天上界に祈りて 神の声を聴き 神の判断を仰ぎなさい


多様な考え方を愛しつつ 正義とは何かを指し示す地球神の愛

護るべき価値ある精神性
神を信仰しより良い世界を作ろうとする愛や調和の精神

この地球の護るべき精神性とは何か

登場人物のひとりには、このように語らせています。

こんなにたくさんの種族が共に生き、魂修行をしている星は見たことがない。

多様な価値観のなかで 神の心を 選びとれるかどうかの修行がこの地球にはあるような気がします。

正しいと思うことをそれぞれ述べてよろしい

という言葉にも それは表れているように感じました。

同じく神に創られたという尊さおいて平等
特定の種族の横暴は許されない。
極端に自己中心的、周りを恐怖に陥れたものは悪と認定されるが 反省の機会が与えられる。

邪神 カンダハーハルの唆しにに乗って地球侵略を企てる指導者に対しては 

悔い改めなさい。恐怖で星を支配するあなた方のやりかたを愛の神はお認めにならない。



現在 日本でも 世界でも パンデミックによる 恐怖で 権力を持つ人達が  人間を支配しようとしていませんかと 思うこの頃です。

反対意見 多様な意見を封殺する世界を 神は望んではいないのだと思います。







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