貪りの心 貪食について考えたこと

先日 末期がんで 亡くなった方が 病院でも 最期に自宅で数日間過ごされた日々も 誤嚥性肺炎を畏れて 経口での飲食が一切 禁じられていたという話を聞きました。

ご本人は ビールが呑みたいなぁ と仰っていたそうですが、スポンジに含ませた水で渇きを癒してもらうことしかできなかったそうです。

この話は 2つの意味でショックでした。

ひとつは もう 後数日でこの肉体を去ると分かっている人にも 誤嚥性肺炎を畏れて 飲食が禁じられること。
誤嚥性肺炎を畏れるのは 急変時の対応に追われる医療の現場の事情によるものではないかと思われたこと。


もうひとつは 私が その立場だったら

不成仏霊になるかも😱と真剣に思ってしまったからです。

仏教では
「貪・瞋・癡・慢・疑・悪見」という六大煩悩が 苦しみを作るといわれています。

地獄界には 餓鬼地獄という世界があります。

貧困や飢饉で 飢えで死んだ人がが 何か 食べたい食べたいと 思いながら亡くなったときに 
その肉体煩悩の思いから抜け出すことができない故に赴く地獄です。

食べ物だけでなく 欲しい 欲しいという気持ちで満たされない心が 心に応じた世界に 引き寄せられてしまうのです。

普段は 自分にそんなに貪りの心があるとは思っていなかったのですが、幼少期からの自分の言動を振り返ってみると

ある ある ある あるで 貪っている場面が出てきてしまいました。

例えば ソフトクリームを妹と食べていた時のこと。 食べるのが遅い妹の分まで あれ 要らないの? だったら 食べてあげるねと 奪い取って食べてしまったり 😅

外食中に 他の家族が注文したメニューが気になって 必ず一口頂戴と貰っていたり😅

食べることに関して 意地汚いなぁって 振り返ると思います。

ところが そんな私が 腸閉塞から 大腸がんが見つかり 3週間程 絶飲食になってしまいました。

配膳台が廻ってきて、同室の方々にくばられた食事の匂いが立ち込める中で
薬と白湯、お茶だけしか 口に出来ない何日間を過ごしたのが 4年前です。

私には「食べる」ということに やはり執着が かなりありました。
甘いケーキやクッキー チョコレート、スィーツに対する欲もなかなか抑えらません。

がんを克服した方の中には 食事療法でがんの餌になる砂糖等の糖分を取らず ケトン食で克服したという話もよく聞くところです。

こうした方からは、食に対する欲を 自制する自制心がうかがわれます。

一方 抗がん剤治療中の方の中には 辛い治療を頑張った自分へのご褒美ということで、病院の帰りにスィーツをたっぷり食されている動画を上げておられる方もいました。
食べられるものを食べられる時に食べることで 体重減少を防ぎ、体力や、筋力を温存しようということのようです。

これは 考え方、治療方針に対する考え方の違いだと思います。

この世に生のある時は どちらも 考え方としてはあると思いましたが 霊的な人生観に立てば
肉体の欲望 食べ物に対する執着が残るような心境で あの世に旅立つことは 良くないでしょう。

昔 こんな御話を聞いたことがあります。
即身成仏呪いミイラが展示された展覧会に行った人が お腹が空いて空いて 何杯でも丼飯を食べたという話です。

即身成仏というのは 穴にこもって 食事を絶ちそのまま 亡くなるまで行をするという修行をするというものですが 何百年か後の現代  即成仏呑みたいなぁ展示を見た人が そのミイラの霊にとり憑かれてしまったというような話らしいのです。

形式的な肉体行だけをして亡くなった場合 、
霊的な自己 心こそが 自分の本質だと知らないままに 飲食を断つような修行で生命を落とすと 本物の悟りを得ることができず、不成仏霊として この世をさ迷うか 餓鬼道に堕ちてしまうこともあるようです。

仏教では とても詳しく 霊的な世界を説かれています。

キリスト教では あまり説かれていませんが、スゥエーデンボルグ等が 後世地上に下ろされて キリスト教で説ききれていなかった霊界思想を補完するような 霊界探訪の書を著わしています。


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