Colabo観戦雑記②本質的な論点

足立議員の指摘

 1月18日、足立議員が暇空さんに対して今の騒ぎ方は本質的な論点とずれている、という要旨の発言をし、足立議員のちゃんねるに暇空さんが登場して議論する音声が暇空さんのyoutubeに上げられました。
 足立議員の言っていることは理解できるものの、自分は「本質的な論点」をどこにとらえるかでcolabo問題を見え方が変わるというのがこのcolabo問題の興味深いところだと思っているので自分なりに整理したいと思います。

反体制派が利用してきた方法でカウンター

 自分がこの問題ですごく興味をもった事は過去に政権批判の道具として使ってきた側が同じ方法でカウンターをくらっているという事です。
 モリカケ問題などの会計にまつわる問題というのは反体制派が政権批判の道具とし、国会で詰問してきた過去があります。自分の中では国会議員が国会で質問するには重箱の隅をつつくような問題で、制度改革に持っていき法律を変えるわけでもなく、ただアピールしているだけに感じていました。足立議員もそう考えて本質的な論点ではないと語っているように受け止めました。
 ただ、今回違うのは「本当の一般市民」が用意されている制度で反体制派の団体に住民監査請求を通した、という事です。
 通常の一般市民は仕事をかかえており、生活のために日常の時間はかなり割かれているため住民監査請求を通すほどの調査・資料作りは事実上不可能と考えていました。そのため住民監査請求等、行政に対する監視というのはどこからか資金提供を受けて専念できる人に限られているもので、反体制派が行う事と思っていました。(体制派の人は政権与党に提言して変えればよいので住民監査請求等をする必要がない)
 反体制派が政権批判にたびたび利用してきた方法で暇空さんという奇跡のような存在が反体制派にカウンターを食らわせたというのがcolabo問題と思っています。
 この対応がお粗末だと今後反体制派がいくら指摘しても説得力がなくなる(もともとあまりありませんでしたが)ので使えなくなる可能性があり、国会での建設的な議論へとつながる可能性も秘めていると思っています。
 なので今回の問題の結果をもって反体制派の非建設的な指摘をなくすアプローチは本質的な論点の一つだろうと自分は考えています。

足立議員の本質的な論点 政治団体の厳格化 

 足立議員の今までの活動は把握していませんが、1.18にupされた音声では「政治資金規正法の厳格な運用、法改正」を目指しているようです。(間違っていたらすみません)
 colabo問題は自分の追っているテーマを補強しそうなので興味をもったのでしょう。
 現在、立候補する人やそれを後押しする団体のみ政治団体とされているが、他の活動をしながら政治的な目的をもって活動している団体は山ほどあり、それをひっくるめて規制すべきと考えているようです。
 たしかにマスコミやNPO、一般社団法人ふくめそういう団体はたくさんあるでしょうが、かなり難しくないですか?というのが個人的な感想です。個人の内面に関して証明することはかなり難しいし、行政機関がどれが「政治活動」なのか決めると言論統制にもなりかねないし・・・正直一般人の自分としては本質的な論点かもしれないけど遠い話の上に法律で規定することが難しそうで出口がみえません。想像力不足ですみません。

暇空さんの活動の本質的な論点             行政による会計の確認と成果の評価

 暇空さんの目標は「創作物の過度な批判・規制をなくす」ことだと思っています。自分たちが気に食わない表現のものを燃やしたり、日の目をみる直前にやり玉にあげたり、規制する法律を通したりすることを無くしたいのだろうと語っていました。
 当初は公職選挙法違反や、一般社団法人やNPO法人が政治活動の隠れ蓑になていることを指摘しようとしたようですが現状監督する省庁がなかったり、検察が動くほどの問題でないとされたりで戦うすべがないため公金の使い方のずさんさという方法で指摘するという作戦になったと暇空さんは語っています。
 そういう組織(現状標的はWBPC)の会計や活動のずさんさを明らかにし、すくなくとも公金が自動的に流れ込むことを防ぐことが目的なんだと思います。
 この活動には論点が2つあると思います。行政による会計の確認と成果の評価です。
 正常な会計をしていないとか言語同断なのになぜ行政は会計の確認がぬるかったのか?ネットで流れている仁藤さんのtwitterでは昔は通常通り領収書の確認や活動の確認をしていた様ですがそれがいつしか無くなったようです。それがどのように変質して行ったかを暴けばナニカにつながるかもしれませんし、行政の健全化につながれば本質的な論点だと思います。
 成果の評価ですが、これは行政全体にあることだと思います。根本的な問題の一つとして予算の単年度主義です。自分の思っている問題は「予算を使い切らなければその業務はそんなにお金いらないよね」と言われてしまう事です。つまり、どのように成果が上がっているか評価するのではなく、お金を使い切ることがその事業の評価になるということに陥る事になります。
 そのため暇空さんの住民監査請求でも「領収書が確認できるので行っている」と判断されています。
 この民間では考えられない評価が普通なのが行政の問題です。ただ、売り上げがわけでもないのにどう成果を評価するのはとてもとても難しいので正直どうすればよいのかは分かりませんが、本質の論点と考えられます。


とまぁ少し考えただけで結構出てくるので本質的な論点なんていっぱいあるよ、というのが本質的でしょうか。また、こんなにいろんな問題が内包しているのがcolabo問題の面白さと思っています。


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