見出し画像

「クロノトリガー」で一番好きなキャラクターが「ルッカ」なので、その理由を思いつくままに書いてみる。

「クロノトリガー」は1995年に当時のスクウェアから販売されたスーパーファミコン用のRPGのゲームソフトですね。

ゲームの中では本当に名作中の名作ですね。

僕はこの「クロノトリガー」の登場人物の中で、一番好きなキャラクターが「ルッカ」です。

そういうわけで、どうして「ルッカ」が一番好きなキャラクターなのかを、思いつくままに書いていきます。


クロノクロスを遊んだことで、「ルッカ」というキャラクターが好きになった。


「クロノトリガー」から突然「クロノクロス」に話が変わっちゃいました(笑)

でも、この「クロノクロス」のストーリーを含めた上での、「ルッカ」というキャラクターが好きなんですよね。

クロノトリガーは未来の世界の危機を救うために、悪いラスボスを倒すという、王道ストーリーのRPGです。「THE・少年漫画!!」という感じですね。

そういう王道ストーリーも僕は好きなんですが、「クロノクロス」という作品を通すことで、クロノトリガーのストーリーに影というか、物語に厚みが増すんですよね。

「クロノクロス」でルッカがキッド宛てに書いた手紙に、「自分たちがラヴォスを倒して星の未来を救ったことには誇りを持っている。でも、自分たちの行為によって、未来の崩壊した地球の中で生まれるはずだった命が失われてしまった側面もある」ということを語っています。

世の中って、一つの側面からではなく、色んな側面から考えることって大切なんですよね。

クロノクロスで登場するルッカは、そんなことを語っているのかなとも思うのです。
クロノクロスには登場する「クロノ」「マール」「ルッカ」は3人とも、クロノトリガーの物語内よりも幼少期の姿で登場している。たぶん、10歳程度の姿。もしかすると、身体が小さいのでもっと押さなくて5歳程度の姿なのかもしれない。そんな、幼い姿のクロノ、マール、ルッカが哲学的で影があり、ある意味では中二病的なセリフを話すのです。

自分に人生を、色んな側面から見てみる。
人生ってそんなに単純なものではないと思うんですよね。

良かれと思ってした行為が、別の視点から見てみると、また違った意味合いを持ってくる。

人生ってそんなことの繰り返しのような気がします。

ルッカってそういうことを考えさせてくれるキャラクターなので、僕はクロノトリガーの中で一番好きなキャラクターなんです。


クロノトリガーの中で、印象深いシーンがあって、「緑の夢」?だかってイベントだと思うんです。物語終盤の方で、見ることができるイベントで、ロボが中世の時代に残って砂漠に木を植えて森を作るイベントです。

森を作るのに何百年も掛かるので、機械のロボであれば機械が破壊されなければ何百年も生きることができるので、中世の時代に残って森を作り続けます。

そして、ルッカやクロノたちはシルバードで中世から現代にタイムトラベルします。
そうすると、あっという間に砂漠から森に変化しています。

ロボにとっては森を作るまでに何百年もの時間が掛かったのに、ルッカたちは一瞬で砂漠から森になる姿を見てしまいます。

ルッカたちは生身の人間なので、何百年も生きることができないのだからそうするしかないです。そこに、人間の命の短さというものを感じてしまいますね。

それで、現代へタイムスリップしてロボを復活させた後に、ルッカが仲間たちと一緒に森の中で焚火を囲むイベントがあります。

そのイベントでの会話が、なかなか味わい深いシーンなんですよね。
今までのクロノトリガーの王道ストーリーとは違い、ちょっと影のある、人間とは?人生とは?命とは?ということを問いているような、哲学的な会話が行われるシーンなんですよね。

ここのシーンは感慨深いです。クロノクロスともリンクするようなシーンなんですよね。


とりあえず、好き放題に書き散らしてしまいました。
とにかく、クロノトリガーの「ルッカ」というキャラクターが好きなんですよ。
そのうち、ちゃんと読みやすくキレイに書き直した記事をアップしたいですね。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?