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キャラとかいう概念

 アニメや漫画のキャラクターを愛でることはしばしば二次元を愛すると表現される。これは現実世界を三次元としていることから発想されている。しかし、果たして現実世界を三次元と表現することは適切なのであろうか。
 確かに、二次元が平面であり三次元が立体であるという認識は間違っていない。一方で三次元世界には時間の概念がない。すなわち三次元は立体は立体であるが、それは不変的な立体であり変化は生じない。時間の概念が発生するのは四次元からであり、現実世界を立体世界の連続的なものであるととらえた時、現実世界は三次元ではなく四次元とするほうが適切なのではないだろうか。
 では三次元世界とは何か。それは記録された不変的な立体物である。愛でる対象で表せば、キャラクターである。いわゆる芸能人やアイドルといった類も消費者から見れば三次元である。人間は本来多面的かつ流動的であるが、その刹那的な瞬間を切り抜いて提供されるものがキャラクターである。すなわち現実世界つまり自分の生活圏でかかわる人々は、本来キャラクターという三次元的な概念でくくれるものではないのである。
 ところが昨今の人間関係はキャラクターを重視する傾向にある。陽キャや陰キャという概念などが代表的な例である。このような言葉が流布することで本来変化してしかるべき人間性を変化させることができなくなっているのではないかと危惧する。すなわち個々人の動向をキャラクターとして外部から三次元的に固定することによってその人の立ち位置を定義させているということである。これは社会を形作る過程においてはある意味自然なことではあるものの、それはあくまで便宜的なことであるにもかかわらず、その瞬間的かつ一面的な認識に現代人は囚われすぎているのではないかと考える。
 戦後日本ではかつてのがんじがらめのムラ社会からの脱却というスローガンのもと、現代的な都市が形作られていったが、そこから100年も経たないうちに異なる形ではあるが、自己を束縛する風潮が蔓延していることにはアイロニーを感じざるを得ない。


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