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比喩としての桃

 桃を見て人の尻に似ているなということは誰しもが思いつくことである。それは古今東西で普遍的な認識であるかもしれない。そういった前提を持って世界を再認識したところ非常にいかがわしい風景が漂う。
 例えば桃源郷という中国古典で理想的な地を象徴する言葉があるが、これの桃を尻に変えると欲に忠実な男たちの姿が目に浮かぶ。そもそもいくら桃が希少であるからといってそんなに大量にあって理想郷だと喜ぶはずがない。
 このようにどう転じたかはあえて語らないが、桃の比喩は転じて女性を表すことが多い。桃の節句は女の子の日とされることもその派生であろう。万葉集では植物の桃と区別するため、毛桃という言葉が女性を表現するらしい。なぜそうなるかは不明である。Lauren AlainaのGeorgia Peachesの中ではpeachesが若い女性の比喩として使われていることから分かるように桃を女性の比喩として使用することはもはや文化圏を超えて一般的である。
 これで本文を終えてしまっては品がない。さて桃が女性を表すならば桃太郎はどうなるのだろうか。これが本文の主題である。
 そもそもおばあさんが川で拾った桃に、包丁を入れようとしたときに生まれてきた子が桃太郎である。さてこの桃を女性に変えてみるとどうなるか

おばあさんが川で洗濯をしていたら女性が流れてきました。おばあさんは女性を助けて家まで連れ帰りました。その女性は妊婦であったため中の子供を助けようと包丁を入れようとしました(帝王切開)が、その必要はなく元気な子どもは生まれました。

これはあくまで想像であるが、上記のような解釈もできるのではないか。ここで重要なことはなぜこのエピソードが作られたかである。それはおそらく太郎が子どもはどこから生まれてきたのか疑問を持った時に、その答えとして本人がショックを受けないための周りの大人の配慮の結晶であろう。桃太郎は大人になって様々な知識や耐性を持ち、改めて自分の生い立ちを振り返って初めてその意味を知ることになる。
 児童らに子どもがどうやって生まれるかどう説明すればよいか。子育てに携わる大人ならば少なからず悩んだ経験はあるだろう。桃太郎ほどショッキングな話は稀であるが、子どもがどこから来るのかというデリケートな質問に答える時は、比喩表現を使用することが良いのではないかと考えた。その役割をもっとも効果的に果たせるのが絵本文学であろう。すなわち世の中のデリケートであるが伝えなければいけないことをなことを比喩表現でぼかして伝えることが児童向けの絵本に求められているのではないかと感じる。

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