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霧のまち

私の、現在住んでいるまち、つまり生まれ育ったまちは、盆地である。四方を山に囲まれている。

山といっても、日本アルプスのような2000メートルを超える高山ではなく、高くてもせいぜい1000メートル程度の低山だ。

この盆地という地形が、気候に大きく影響しているのを感じるのが、これからの季節である。

霧。
霧が発生するのだ。

まち中が、深く白いヴェールに包まれて、そこには静寂がある。
いつもは騒々しく感じる毎朝の通勤の車、走っているバス、電車の音もどこか静かな、遠慮がちな気がする。

例えて言うならば、雪が積もった朝のような静けさだ。

霧は濃い。
実際、冬が深まると濃霧で電車が遅れることも、ままある。

白い帳がおりて、向かおうとする道はぼんやりとしていて、信号の光がやけに明るくしかしいつもよりは柔らかく光っている。

10分ほど自転車を走らすと、上着の表面がしっとりと湿り気をおびる。まつげも濡れる。


朝、霧が出る日は決まってよく晴れる。洗濯日和だ。
しかし、出勤する場合は、家を出る時間にはまだ霧が出ているので、洗濯物を外に出す勇気がなかなか出ない。昼間は晴れると分かっているのに、歯がゆい心地になる。

霧は、午前10時、11時頃に、やっと晴れる。


冬、朝からまちの外に出かけるとき、霧の影響でひどく冷え込んでいるため、厚く着込むと、のちに、ああ。また失敗してしまった、と思う。電車でまちを囲む山を抜けるトンネルから出ると、太陽がさんさんと照っていて、日光がまぶしい。白い霧がかかった世界とは別世界だ。当然、着てきた厚着が暑く、汗ばむことになる。脱ぎ着できる重ね着がのぞましい。


私は、毎年冬が近づいてくると

街をゆき 子供の傍を 通る時 蜜柑の香せり

冬がまた来る
           木下利玄『紅玉』(1919年)より

という歌を思い出すのだが、それと同じく、朝起きて、窓から外を眺めて霧が出ているのを見ると、ああ、秋が深まってこれから本格的な冬が来るんだな、と実感する。

ちなみに、くだんの短歌は今回本稿を書くにあたって調べるまで、俵万智さん作だとなぜかずっと勘違いしていたのはここだけの話にしてほしい。

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