純粋なる準備

おはようとこんにちはの狭間、それが11:34分。こおんはによちうは。
奨学金の返済まだですか電話で起きた。なんとも説明のつかない終わってる生活をしているので、煮え切らない返事しかできなかった。一応鬱のせいみたいなことを言ったけど、でも鬱のせいでもないんですみたいなことも言った。普通に自分の考え方とか行動とか気持ちとかそういうのが軟弱、やわやわお粥状態なのでこうなってるんだと思う。言うたら元気なんじゃないかと最近思う。
病気が色んなことの理由となる世界観から抜け出さないとなあという気持ちがあるのかもしれない。勿論まぢで調子悪い人に言っている訳では無く、僕個人の現状への判断である。
昨日おかんが言っていた「人を結果で見ちゃいやよね」という言葉。俺は感動した。今を終点とすれば結果だけど、そうしなければ今も過程にすぎないということなのかなと思った。
働いたり色んな環境に入るなかで生じる不快なこととか。その中で生活していくにしても乗り越えていくにしても、そこには新たな自分というのが見えてくるんだと思う。家に居て自分の世界の中で過ごすのは快適だが、それでは何か人生にとって得るべきものが得られないような感覚がある。
いくら下準備しても活元運動が起こらない。準備だけして本番が来ない。
真面目なこともいいが、全然関係ないことも考えないと疲れるので、全然関係ないことも考えないと疲れるので、思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?