さひとすてつふ

リビングで母と夕飯を食べ始めた頃。
「蚊だ」
俺の部屋の窓とリビングの窓が開いていたからそこから入ってきたのかもしれなかった。俺の部屋では網戸のしてある窓を開けていたが、リビングでは網戸をしていない窓を開けていた。網戸をしている窓を開ければいいのかもしれないが、網戸が汚れているので、そこを通った風が家に入るのが嫌なのだと母は言っている。俺の部屋の網戸も多分超汚れているのだろうが、母には何も言わないでおく。
見失ったり発見したりしているうちに、蚊は隣の和室に飛んでいった。少しして「あああ蚊がいる」と父が和室から出てきた。
食卓には青菜炒め、お惣菜唐揚げ、しじみの味噌汁などが並んでいた。俺が昨日作った生姜焼きの残りが一枚だけあったのでそれもレンチンして食卓にあった。夕食中「母ちゃんが食べていいよ」と言い、母ちゃんは食べて「うんまい」と言った。昨日もそうだったが、この生姜焼きを母はかなり気に入ったらしい。「屋台飯みたいだ」とも言った。よく分からないが褒めているらしかった。
母はシメに納豆を食べている最中にお腹が痛いとトイレへ行った。ついさっきには納豆に昆布を乗せながら「昆布を乗せるとマイルドになるんだよ」と言っていたのに、心配だった。
俺は皿洗いをした。洗っている最中に脚を蚊に刺されないためにサイドステップをしながら皿を洗った。皿も排水溝も洗い終えた頃、母がトイレから出てきた。ぐったりとリビングの座椅子に伏す。
腹が痛い人に他人ができる有効なことというのは無い。有効かよく分からない、多分有効じゃないことならあって、一つに腰をさすることがあった。放っておくのはなんだかできないなあと思ったので、さすりながらテレビを見ていた。テレビではマツコ・デラックスが地方のテレビ局へ潜入していた。俺はハハハと笑うこともあった。
父がトイレへ入り、母は「早く出てきてくれないかなあ」と小さく言った。父はすぐに出てきて、再び母はトイレへ向かった。リビングの扉、洗面所の扉、トイレの扉という3重の扉の向こうに籠もった。
父は「危ねえ」と言った。膀胱がそこそこ限界だったらしく、母がトイレに籠もる前に用を足せてよかったということだった。母が早く出てきてくれと言っていたのを伝えると笑いながら「危ねえ」と言った。
何を喋ったらいいのか分からなくなったので、俺は両手を自分の脇の下に突き刺した。腕を組むような左右交互な形ではなく、右手を右脇に左手を左脇に刺した。父は俺の腹を突っつこうとしたので、払いのけてまた同じポーズをした。攻防が始まった。
「なんなのそのポーズ」と父は言った。これはラーメンズの片桐教習所の「掻き出して」の動きの初動なのだがそんなことを言っても意味が分からないので、ネテロ会長の祈りみたいなものだと、常識的な道のりでは辿り着けない境地なのだと説明しながら攻撃を防ぐ。
オウムアムアって何なのか、調べてないから分からない。光るっぽいようなのは見たかもしれない。オウムアムア。変な言葉である。王むあむあとするとまた変である。
キッチンの隅に追い詰められていると、ドンドンドンと扉を叩く音がした。
「母ちゃんが呼んでる!」と俺が言うと、「姉ちゃんだろ」と父は言った。実際姉がリビングの扉を叩く音だった。どうしてリビングへ入ってこないのかといえば、コロナの病み上がりだからだった。
姉はホットスナックの袋を持ってきていた。それを冷蔵庫にしまってほしいということだった。扉越しに父と姉の間で話し合いが始まった。セブンイレブンでクッキーの販売が始まったらしいことを姉は話した。それがこの袋と関係するのかはよく分からなかった。
父はワンダーコアに乗って話を聞いていた。バイーンとなって危なくはないにしてもびっくりする。危なくはないけどすごく危ない感じはする。
それから姉が通う韓国語教室で友達を作れるだろうかといった話。明日がそうなのだが話せそうな感じだったら話そうかなと言う姉に「いいや、こういうのは「もう今日話すんだ」と決めて臨むのが大事なんだよ」と俺は言い、お前が一番そういうのできないタイプだろと姉にも父にも言われた。
今からクッキーを買いに行こうとか姉が言い出したらへんで、トイレから母が恐らく「そこで立ち話されると落ち着いてトイレができない」的なことを言い、急に解散となった。ホットスナックはポリ袋に入れて冷蔵庫にしまった。
しばらく部屋で今日図書館で借りた本を読んだ。理科系の読書術という本で読んでいて結構面白い。自分は理科系の学部に入り中退したのでイマイチ理科系なのかはよく分からない。文化系でもないだろうし、もはや何系でもないのかもしれない。
リビングに行くと母が戻ってきていた。とりあえず山は超えたらしかった。よかったよかったと腰を適当にさすった。
それからお風呂に入りながら思う。コミュニケーションが苦手というか困ってるみたいな人の方が話しかけやすいし多分仲良くなれる気がすると。そういう人のクレイジーな部分が見れたら余計嬉しいと思って、人に自分をそう思ってほしいだけかもなタハハ…と思ったりした。
蚊だったが、姉と父が話している間に二匹倒した。これで蚊に刺されないで夜を越せたらいいなあ。

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