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京住日誌 13日目
【Today’s Phrase】
①いけしゃあしゃあ
=憎らしいほど平然としているさま
②ぺこり、またはぺこり45度
=「ぺこん」に同じ。勢いよく頭を下げて挨拶する様を表わす語。
※定吉は又もやぺコンと叩頭して(「神経病時代」広津和郎1917年)
【What happened today】
相変わらず5時代に起床。6時のデジタル新聞更新まで時間があるので、トマトソース作り(苦笑)。僕のような素人がトマトソースを作る時のコツは二つあるという結論に辿りついた。
①オリーブオイルを躊躇せずに使い、玉ねぎは少なめ
②ホールトマトを漉す
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②が正しいかは自信がない。ちょっと手間がかかるし。しかし漉すと酸味が柔らかくなるのは間違いないように思う。残った皮?はタッパに入れて保存している。玉ねぎとケチャップを加えて炒めれば十分おかずになる。濾しても無駄にはならない。
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デジタル新聞3誌を斜め読み。コーヒーとリンゴをいただいた後、食器洗いをして時計を見ればもう出発の時間だ。自転車で右京中央図書館を目指すべく、五条を西へ。Googleマップは使えないけれど勝手知った道だから迷うことはない。ただ、南北に走る通りの名前は体に刻み込みたいからいちいち確認し、声に出す。声に出すのは名称を正確に読むため。まずは西洞院(にしのとういん)だ。平安時代は幅8丈の大路であったが、住宅が立ち並ぶようになってからは現在のような道幅になった。そして道の西側に西洞院川が流れていたという(現在は全て暗渠になっている)。
次の堀川通は歩道橋があって自転車は横断できないので、廻り道をして五条通りに復帰する。大宮通り、壬生川通り(みぶがわどお李)を通り過ぎれば丹波口駅の高架が見えてくる。手前の信号を渡ると左手に「京都市中央卸売市場第一市場」。いつも覗いてみたいと思うけれど、まだ実現していない。京都おリサーチパークという謎の建物を過ぎ、市立病院を右手に見ながら走れば西大路五条の交差点。さらに進んで光華女子大学の校舎が見えてくればその交差点を右折して葛野大路通(かどのおおじどおり)に入れば目的地はもうすぐだ。ひたすら?上っていって、京都外大を横目にみんな大好き京阪嵐山電車の線路を横ぎると京都先端科学大学太秦キャンパスの立派な校舎が目に入る。そうすれば着いたも同然。駐輪場に自転車を停め、3階の図書室へと駆け上がる。
右京中央図書館の郷土資料は充実している。僧侶や貴族の日記類という一次資料は高価な上、手に入りにくいからその充実はありがたい。しかしながら僕のような専門家ではない素人がそれらの資料を使いこなせているかといえばNOだ。「応仁の乱の痕跡を辿ることで京都を時間的、空間的に体感する」という大目標はあるものの、そのために具体的に何をして良いか未だ迷っている。ひとつ分かったことは思ったほど時間はないということ。ここまであっという間の約2週間だった。何も成果がないまま、時が過ぎるのが何より怖い。とはいえ、今できることを確実にやるしかないのだが。
途中昼食をとった以外は比較的真面目に調べものをした。未だ方針がはっきりしないのは辛いところだけど。ふと気がつくと5時前。そして雨音が聞こえてきた。自転車は駐輪場に置いてバスで帰路に着く。運良く五条を経由するバスに乗れた。停留所はほぼホテルの目の前だ。するといつも気になっていた蕎麦屋がいつも以上に目に飛び込む。お酒は週に1度と決めているけれど欲望には勝てず、入店。
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結論から書けば美味しい店だった。〆の二八も良かった。航平くん!来週はここからスタートしましょうか⁈
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