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いつかその時は来る
1270文字
先日、母をやっと病院に連れて行く事ができました。
父が骨盤骨折で入院してから以前よりも母の物忘れが目立つようになり
「一度病院に行って話を聞いてもらおう」
と、母に話していたのですが
「私は大丈夫」
の一点張りでした。
やっと母も納得し病院へ行く事ができました。
結論から言うと
「軽度の認知症」でした。
初期段階(始まりつつある)だそうです。
長女が元言語聴覚士で以前母に検査してくれた時に
「ギリギリのラインだけど大丈夫とは言えない」と言ってたのですが、先生も同じような事を仰ってました。
最初に問診、そして認知症検査でした。
言葉につまると母は私に回答を求めてくるので「思ったように答えればいいんよ」
と言うと笑って答えていました。
図形を見せられ、その図形と同じように紙に描くというものがあり
五角形の図形が2つ描かれているのですが
1つは描けたけどもう1つは三角のような形を描いてました。
そして、好きな言葉を書くよう言われ書いてる途中で漢字が分からなくなり平仮名で書いたり、最初に言われた3つの言葉を最後に思い出して言うのですが、3つとも思い出せませんでした。
隣で母の書く字を見て以前の母の字とは別人のような字に少し驚きとショックを受けました。
私の隣で検査を受けてる母の姿を見て元気だった頃の母の姿と重ねて涙が出そうになりました。
いつかは、その時が来るとは思ってましたが、母も自分の今の状態を受け入れたのだから、私も受け入れないといけません。
私が子供の頃父は母に対して当たりが強く、その当たりを母は私にずっとぶつけていました。
私が成長するとともに当たりをぶつける母から私に強く依存する母になり、一時期、私は両親と距離を置くようになった事もあります。
そんな母が少し小さく見えました。
先生の診断では今すぐの投薬はまだいいとの事。
ただ、父が思いのほか脅威的な回復力で先日退院し、今後の父との生活での変化、環境の変化があると症状が進行する場合もあるので、そうなれば投薬を考えますとの事でした。
父の今の状態は歩くのに少し跛行はありますが、介助も必要なくリハビリも必要ない状態です。
母は1カ月後の受診です。
その時の母の状態を見て薬が必要かどうか判断されます。
処方する場合、進行を緩やかにする薬を処方しますとの事でした。
そして病院から管轄の包括支援センターを教えて頂きました。必要なら利用して下さいとの事でした。
弟とも相談して、こちらへも一度相談してみようと思います。
「手を合わせ泣いて詫びる親不孝」
(親が亡くなってから詫びても遅い)
「好きな言葉でも文章でも何でもいいので紙に書いて下さい」
そう看護師さんに言われて母が書いた言葉です。
これは
母が祖母(母の母)からいつも言われていた言葉だそうです。
長文、最後までお付き合い下さりありがとうございました🙇
ヘッダーのイラスト、とても惹かれお借りしました。Koji Doiさんありがとうございました😊
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