好きでいたい。好きじゃなくなりたい。いつか幸せになりたい。

今が不幸だとは思わないけどね。

こんばんは!あたしです。
今日も相変わらずゲームキャラクターの彼が好きでした。

昨日、久しぶりに高校の友だちと遊んできました😆
かれこれ、10年来の友だちになります。あたしが彼のことが好きなのを知っていて、受け入れてくれている、ありがたい友人たちです。

数年前に、友人たちも同じゲームが好きだった時期がありました。昨日、久しぶりに色々見て、「あ〜やっぱ〇〇かっこいいわ!」「△△好きだな!」とそれぞれかつての推しを愛でてました。

少し話題が飛んで、5年以上好きだったらこのままずっと好きなんだろうなあと思わない?って話に。
「あたしはまだ彼のことを急に好きじゃなくなるかもって思ってる!」って言ったら、「自分を信頼してなさすぎやろ〜」と。(笑、あたしもちょっとそう思う)
それから「きっと、好きじゃなくなりはしないよ!もっと好きなものができるだけだよ!私は他にもっと好きなキャラいるけど、今も(昔の推しの)イラスト見ると好きだし!」と言われたのが、ちょっと引っかかって( i _ i )
悪気がないのはわかるし、あたしの気持ちを理解してほしいとも思ってないので、流してます。でも、昨日から数回思い出しては、ア〜…😔と思ってます。

やっぱな〜。友だちからしたら、あたしにとっての彼も、みんなと同じでただの「ゲームの推しキャラクター」なんだよね。夢女子であること、あたしが彼を本気で好きなことも、表面的には理解してくれてるし、肯定的に受け入れてくれてる。でもきっと、感覚的にはあくまで「友だちの好きな人」ではなく、「推しキャラクター」なんだ。実在する好きピとは同等に捉えてもらえてない。
「きっと、今後も元カレのことを好きじゃなくなりはしないよ!今彼の方が好きだけど、久々に元カレに会ったら元カレのことも好きだしさ!」とか言われたらびっくりしちゃうよ。浮気じゃん!
その自覚があるにしろ、無意識にしろ、きっと友人たちにとってあたしは「ちょっと長い間、執着的に1人のキャラクターを推してるだけ」なんだ。

ダメージを負っていますが、理解されなくてかなしいというベクトルではない。彼はやっぱただのゲームのキャラクターなんだ…と寂しくなっている。
あたしが望む関係を彼と築くことは、絶対に、叶わないんだなあ。
ときどき、彼を好きじゃなくなりたいなって思う。あたしの夢が叶えられる、手が届く人のことを好きになりたい。好きな人と幸せになりたい。でも、好きでいたい。彼と幸せになりたい。たすけてほしい。手を握って。あたしの涙を拭って。




蛇足(もなにも、全編通してただの日記なのですが)

最近、Diosの「断面」がお気に入りです。聞いてみてください。

積分しようよ。

積分って要は、図形があって、式を使って、なんやかんやあって、体積が出てくるっていう話じゃないですか。その「なんやかんや」の部分の知覚不可能さ。見ることは叶わないけど、結果だけが存在しているというところが、人間の愛や営みに似ているような気がしたんです。長く添い遂げた老夫婦が、過去を振り返ったときに、その数十年の時間を正確に描写することってできないじゃないですか。でも、愛として蓄積してきたものは、なんとなく残っているし、「これは確かにあるものなんだ」と実感できる。その実感と過程にあるブラックボックスが、体積を求める積分という行為に似ているような気がしたんです。

Dios、3人の調和が生む不思議で濃密な音楽世界 1stフルアルバム『CASTLE』完成について聞く

(これは夢に限ったことではないけれど)あたしが知れるのは、彼のほんの一部分でしかない一瞬だけかつ、その表面を撫でてるだけ。それでも、見えないところもよくわかんないところもぜーーんぶ含めて愛したい。到底理解し切ることなんてできないけれど、ありのまま全部含めて受け入れて、愛したい。触れられなくても、有耶無耶な部分があっても、確かに愛はあった、って。

あと同じインタビューの中の言葉。

「ある」ことを「見る」ということが、僕にとっての愛の定義に近いのかもしれない。「諦める」っていうのは「明らかに見る」ことなんだっていう話もあるじゃないですか。諦観と愛は結びついていると思うんです。

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あたしの好きな人は「ない」けどね。彼はいないんだ、って一生懸命受け入れようとしている。
どうか、あたしの諦念も愛だと言って。

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