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Field work日記-帰国まであと100日-94日!

ベトナム・最南端のメコンデルタという地域で、水田の中でエビやカニや魚を養殖する農家さんから、生活や農業の知恵、開拓の歴史や学んでいます。
今回の3か月半が、博士課程の期間でおそらく最後の中・長期滞在になります。波乱万丈なフィールドの日々を記録します。関心は、メコンデルタのたくましくて底抜けに明るい人々、農、風景、食、歌の文化。

メコンデルタ滞在の最初の1週間の出来事
雨期、大雨の中、Phuong Trangバスでホーチミンから。4時間かかる便でしたが3時間半でつきました。高速が開通したけれど、高速ルートか従来ルートかは、券を買うときまで分かりません。(電話すれば、買わなくても教えてくれると思います。)
今回はホテル滞在。と思ったら予約が通っておらず、支配人のおばちゃんのご厚意で急遽1泊させてもらうことに。
土日の間に投稿論文の修正をなんとか終わらせ、日曜日にカウンターパートの先生方に到着連絡を入れた。

6/24(月)
 2つの学部に挨拶回り。手続き担当の先生には今回の滞在目的と予定を伝える。「今後の手続きはOOさんに聞いてね」と言われたものの、OOさん本人は把握しいていなかった。
 そのために、調査許可申請手続きが進んでいなかったことが分かり、青ざめる。4月から書類送って自分たちもチェックしていたやん、あのプロセス何?と思いつつ、もうその時々の状態に対応するしかない。
 もう1つの学部では、土壌の分析作業に協力してもらえることになった。ありがたい。

6/25(火)
 挨拶回りの続き。調査地の歴史資料を読む。昔の地名で書かれているので、地図には載っていない。年配の村の人に教えてもらおう。
 博士論文や、博論本がどういうストーリーでまとめられていくのか、頭の中にデータベースを作りたい。今はあまりにもストックが少なくて、どういう流れ、理論、データのボリュームがどう1冊に収まっていくのか想像がつかない。京大学術出版から出ている地域研究叢書シリーズを読み、ヒントを得ようとしている。今読んでいるのは、2022年に出た池田真也 著の商人が絆す市場―インドネシアの流通革命に交わる伝統的な農産物流通』

6/26(火)
 免許証の申請手続きで午前中いっぱいと午後1時くらいまでかかった。ベトナムでの免許証の書き換えに必要な書類は以下
・免許証の公式翻訳文書(ホーチミン市1区の人民委員会で出してもらえる。費用は100,000ドンで3日かかる)
・パスポートの原本とコピー1枚
・パスポートに押された滞在許可のハンコ(Được Phém Tạm Trú)かレジデンスカード
・費用は135,000ドン
(免許申請の代行サービスだとトータルで800,000ドンほど)

 そのハンコが、visaのステッカーの横ではなく、パスポートの中でも見つけにくいところに押されていて、手続き中には見つからなかった。「ハンコがないのにどうやって入国してきたんだ!」と役人の兄ちゃんたちが騒ぎ始めた。別の部局に電話して私がどうやっていつ入国してきたのか問い合わせ、結局すぐには先方が対応してくれなかったようで、
「住んでる地区の公安に大家さんと行って、ハンコもらってきて」と言われ、一度役所を後にすることに。
 せっかく朝一で済ませられるように早く行ったのに!と思いながら、ホテルに帰った。大家さんに必要な書類だけもらって、公安に行き、その地区に住んでいることを証明してもらう書類を出してもらって再度役所に戻った。
 役所の兄ちゃんが「終わったかい?」と待っていた。書類を渡すと「これじゃなくてハンコが必要なんだ!」と。「そういわれても。公安がくれたのはこの書類だけなので」と言うと、同情してくれたのか、入国管理局に再度問い合わせてくれた。
 待っている間に、カウンターの兄ちゃんたちが「君はシングルか、既婚者か?」と聞いてくる。ベトナムに限らずだろうけど、おっちゃんあるあるのちょっかいだ。指輪をしている兄ちゃんが" I am single!"と言うと周りの同僚たちがどっと笑った。
 結局、入管はすぐに対応してくれなかったようで、「何かあれば電話するから」と言われ、役所を後にした。呼び出されるかもしれないし、近くのカフェで作業とするか。コーヒーをすすりながら、返してもらったパスポートを見返すと、昔のvisaのページの横にĐược Phém Tạm Trúのハンコがあった!さっきのやり取りは何やってん!作業を一区切りつけ、役所に戻った。
 「お、できたか?」と担当の兄ちゃん。「いや、ハンコ押してありましたわ」と見せると苦笑いしていた。免許証発行に使われる写真をとり、「来週取りに来てね」と引き換え券をもらった。
 やれやれ。大学に行き、作業を開始。質問表の内容を考え直し、久しぶりに現地の大学の友人と会った。私は、ベトナム語のわかる博士課程の外国人留学生というポジションなので、どの部局でもありがたいことに、厚遇していただける。友人から聞く、クラス内での先生の人柄や人間関係は複雑で、その度に自分はお客様ポジに置いてもらっていて、きれいな面しか見ていないんだなと思い知る。

6/27(火)
指導教員に、現地調査の計画や調査許可申請手続きの進捗状況などを相談する。午後からは調査を手伝ってくれる学生さん1人に調査内容の説明をした。
 

6/28(金)
 調査を手伝ってくれる学生さん7人に現地調査の内容もろもろを説明する。詳しめに話したのは、調査地、調査目的、インタビューのポイントと注意点、回答者用の謝礼、1日の目標インタビュー世帯数は6世帯。質問項目を話し始めると、みんなスマホを取り出して、私の説明を録音し始めた!それくらい真面目に聞いてくれてありがたかった。

 これまでの調査は、オープンクエスチョンで自由に語ってもらうやり方で、謝金ではなく日本のお菓子(20,000-30,000ドン、100数十円)を渡していた。だが、去年よく調査に連れて行ってくれていた農家さんが、外国企業の調査で雇われた学生を案内したが、回答者には100,000ドン、案内者(その農家さん)には600,000ドンくれたよと、個人メッセージを送ってきた。
 農業改良普及センターの職員も、質問票調査をする場合は50,000-70,000ドンは謝礼を渡すと言っていた。
 自分の研究科の院生どうしで話していると「お金の関係になりたくないから私はお金はあげません!」という意見を聞くこともある。その当時は自分もそう思っている節はあったが、最近は、調査地の事情によると思うようになった。農家さんは、農作業で雇う長年付き合っている近所の人や親戚にも労賃を払う。仲買人が集荷場のボスに、いい農家さんを無償で紹介する代わりに、後からボスがその仲買人から多く仕入れてあげる約束を取り付けたりする。それは、農家さん―隣人/親戚関係やボス―仲買人関係が長期的なものだから、長年付き合うために、双方に利があるようにした結果、時に直接的に、時に間接的に金銭的な利益を得られる仕組みにしているのだと思う。今回はワンショットサーベイだ(あとから追加で聞くこともあるかもしれないが)。だからといって、情報を取りっぱなしでは後ろめたい。「よくぞ聞いてくれた」と回答者が思ってくれるような質問を出来たらいいのだが、筆者の実力不足で、まだそういう状況を作り出せたことはない。(頑張ります)
 私を案内してくれた農家さんは、「君は特別だから」と言って、謝金を渡せない私を直接は咎めなかった。(返ってこない前提で、まとまったお金を貸したことは何回かある)でも、去年の自分のやり方は情報搾取、相手の時間の搾取に思えて後ろめたくなった。お金で解決するわけではないけれど、今回は相場にあわせて謝金をお支払いする。

 今回来てくれるのは学部1, 2回生の女子学生7人、男子学生1人。(18, 19歳で女の子ばかりなので、農家さんにめちゃくちゃお酒を勧められるということもなかろう。)今の学部1回生は自分より10歳くらい年下なのか。しっかりしなきゃと身が引き締まる思いだ。

まとめと反省
今週は、挨拶回り、手続き、現地調査の準備をしていると、あっという間に夕方になる日々だった。カフェに寄り、作業を終えて宿に帰ると、もれなくゴキヤンがお出迎えしてくれた。殺虫剤を部屋中に撒きまくって自分まで頭が痛くなった。
以下の作業を来週中に終わらせよう。文章化することで、詰め切れていなかった点に気づくことができる。色々あるけど、来週も頑張ろう。
・調査地の歴史資料を読み進める
・博論に必要な地図の作成、農地利用面積の変化を抽出
・去年とったの質的データを、博論に書ける形で文章化(英語)
・2022年度の調査結果のブックレットの原稿執筆
+で、毎朝早朝に市場で農水産物の観察を習慣にしたい。(写真、アップします!)


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