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「朗読とは、○○らしい、絵に書いた餅」(2024/04/12)

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私は文字の世界ではどこまでも雄弁なので、いつまでも、話題をぶっ飛ばしながらも話し続けてしまう。

いい加減大学での感話と向き合うべく原稿を書き始めた。中高での部活動にスポットを当てていたのだが、それがどんどん横道が逸れて「朗読論」にたどり着いてしまった。せっかく語ったのにボツになるのも、と思いこちらに転用する次第だ。

ここで、遅くなりましたが私が部活の中で打ち込んでいた「朗読」について説明させていただきます。(ここはメモは取らなくて結構です)皆さんに1番馴染みがあるのは、国語の授業で物語を勉強する際、最初の授業で句読点ごとに区切って読む「丸読み」を行いますね。あれを1人でやると思ってください。ただ間違えずに読めばいいというものではありません。物語の中の登場人物がその時どう思い、どう動いたのかを丁寧にくみ取って解釈し、それを1人の声で全て表現するのです。勿論文章の言い間違えやイントネーションなども間違ってはいけません。そのためには基礎練習としての滑舌、腹式呼吸を行います。大会に備えての活動としては原稿の制作とイントネーション、読み仮名を調べ、やっと本題である朗読の練習に入ります。
放送部はあくまで個人競技としての側面が大きいですが、部活を覗くとほとんどの時間は部員同士が話し合っています。ではサボっているのかというとどうやらそういう訳でもありません。朗読を行う上で重要なのは演技力ではなく、いかに理解し解釈するかです。演技力はあくまでそれを伝えるための道具でしかなく、スポーツでいってしまえば筋肉で、使いようという訳です。つまり朗読においての主体は理解度と自己解釈であり、普段の練習として行っている発声、滑舌、イントネーション等の練習や徐々にみにつけてきた表現力・演技力はそれを表現する一道具でしかないということです。あくまでこれは私の解釈ですが、私はこの思いで部活動に打ち込んでいました。

これを自分で読み返していて思ったのだが、私にはここで道具と言われている発声・滑舌・イントネーションが全て欠けている。五角形で言うところの3にギリギリ届き、4には足1歩及ばずというところだ。

14:36

幼少期から「お前は発達障害がある」と言われて育った。その割に精神科での診断は受けていない。母の医者嫌い、薬嫌いの影響である。私は所謂障害者らしい仕草を良くするようになった。今でもそれは抜けない。

20:50

居酒屋のトイレ。ポエム崩れはよく見るが、真面目にことわざの解説をしているパターンは初めてだった。

23:27

今日はビジネスホテルのバイトに1時間だけ行って、早上がりしてフロントスタッフの飲み会に参加してきた。勿論私は20に達していないのでアルコールは飲まない。この後大学の重めの課題もあるし、明日も朝から神社の手伝いなので飲むどころではないのだ。最初は乗り気ではなかったスタッフさんも徐々にエネルギーを増し、かと思えば失速したりと見ているだけで面白かった。

31:55

まあ、また行きたいかと言われると微妙なところだ。次行く時は私もお酒を飲める歳になるだろうし、今回のようにあえて能天気に振る舞える立場ではなくなるのだろう。

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