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20240330旧本多忠次邸へ
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岡崎市内の26号線沿いに、ひときわレトロで瀟洒な洋館が建っている。
数年前に偶然通りかかったのだが、今では俺の名建築お気に入りスポットのひとつである。
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その名は旧本多忠次邸。
本多忠次て誰?と最初思ったが、本多忠勝の末裔だと知り、納得。
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そう言えばここ三河は徳川家康のお膝元やし、岡崎城は本多のお殿様のお城やもんね。本多忠勝なら知ってる。徳川四天王とか蜻蛉切(とんぼきり)とか山田裕貴。
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天下三名槍、蜻蛉切。
ちなみにこの建物、最初からここに建ってたわけではなく、東京から移築されたものだ。
なぜ東京にあったのかと言うと。
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こういう事である。
幕府が倒れた後、全国の大名は東京に集められ、爵位を与えられ華族となったという。
江戸時代はチョンマゲのお侍さん時代だ。
そこから少し経って明治、大正になると、華族とか伯爵とか貴族院とか鹿鳴館とか舞踏会とか、なんかそんなイメージになる。
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華族って漠然と『天皇さんの親戚の皇族かな』位に思っていたが、実はその中身は各地の大名たちの成れの果ての姿だったのだ。
なるほど、と合点が行った。
廃藩置県で『殿様じゃなくなった殿様たち』がその後どこに行ったかというと『東京で華族になった』のだ。それで確かに算盤は合う。
『明治以降の歴史にゴロゴロ出てきた華族』とはつまり元は各地の殿様やったわけか。
そのあたりの歴史は、細かく見ていくと本当に面白い。江戸城の無血開城とか。
数百もの藩の『各地の王たち』の多数が、戦を争わずにその玉座から降りたのだ。
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社会の授業では『徳川幕府から明治政府になりました』とあっさり教えられたが、よくよく想像すると本当に激動の時代。
政権交代の形として、世界史の中でも稀有な例らしい。ぼくらの国は本当に面白い国なのだ。
さてこの洋館、昭和七年に建てられている。
本人がお亡くなりになられたのは1999年。
そう聞くと本多忠勝の時代と比べれば『つい最近』の部類に入ると思う。
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建物の造りが複雑で数え方が難しいが、ざっくりカウントして17LDKぐらいある。
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ダイニングの奥、食器棚の真ん中に小窓がありますよね。
この小窓の向こうは隣室の配膳室につながっている。ここに女中やコックが詰めていて、ここから料理を出したとの事。
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さすが元大名。
使用人ありきな造り。
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掛け軸のある奥方の和室の奥には植物を育てるためのテラス、日光室と呼ばれる部屋がある。
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和室の奥に、スコーン!と天井の高い洋間。
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こういう和洋折衷のハイカラな造りが当時の最先端を表していて、だから東京から移築してきてまで遺したい文化財足り得るのでしょうな。
国の登録有形文化財なんです。
こっちの感覚では東京の世田谷にこれだけの大邸宅を構えて羨ましい、となるが、お殿様からしてみれば『没落』だったんだろうか、、。
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だって広大な岡崎城と、そこから広がる三河の領土とを想えば、やはりそれは没落だろう。
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だってユニットバスですよ。
バストイレ別じゃないんですよ。
元大名なのに!
広さ?広さは6畳くらいありますが。
元大名たちには明治政府から莫大なお給金が出ていたらしいですが、殿様と雇われでは、その本質が違いますわな。
なんか壮大な話。
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生まれながらに悩みの規模が違うというか。
住む世界が違う話やなあ。
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ちなみに本日、二階の和室では市内の能面の会の展覧会が行われていた。
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能や狂言は敷居が高くて観に行った事はないが、なんとなく以前から興味はある。
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まあ『沼』だろうなと想像は付くので畏れおののきつつも昔から辺縁をぐるぐるするばかりだ。時間も財布も有限な俺である。
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面の作り方などについて能面の会の方から色々とお話を聞くことが出来、興味深く観ていたら『数ヵ月で彫れますよ!毎週水曜です!』と、がっつり勧誘されたので持ち前の爽やかな笑顔でかわして邸宅を後にしたのであった。
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