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20240218 企画展・レアリスムの視線へ



なんか役所から市政のお知らせみたいなタウン誌がポストに入ってまして。どこそこの小学校で剣道大会が行われるとか新しい消防署の署長が決まりましたとかオカザえもんが駅前広場でケン玉しますヨ!とかがウダウダ載ってる『普段なら光の速さでゴミ箱行き』のタウン誌に美術博物館でイベントセミナーやるよって記事が小さく載ってまして。


これを開催してる岡崎市の美術博物館で。
抽象美術のセミナーをやるんやってさ。

『1950年代の美術ー線描絵画とアンフォルメルを中心に』というタイトルやってさ。

あらやだ。
もしかしたら面白いかもね。
タダやしね。

展覧会自体もまあ面白そうやし、どうせ行くならこういうの参加してみてもええかもやな。

全然詳しくはないけど。
ちょっと行ってみようかしらん。

という事でハガキで応募して参加してみました。別にホームページから応募したら良さそうなもんやけどわざわざ官製はがきを買って宛名を書いて参加希望のはがきをポストに投函しました。

ほら俺、『てえねいな暮らし』をしてるから。
知らんけど。

解説は尾崎信一郎という高名な先生でした。
壇上に投影されたスライド写真を観ながら90分位の授業を受けましたです。

会場には50人ぐらいの老若男女が居てましたが、横に座ってた一人で来てるおっちゃんは、熟睡してました。

お前はじゃあ何で来たんだ?

おっちゃんは寝てましたが、俺にとっては中々に面白い講義でした。

ほら、俺、かしこやから。


では今回のセミナーで聴いた内容を、超弩級にざっくり説明しますね。


元々は昔ながらの普通に上手く描いた絵が流行ってたけど、そのうちにわけの分からん線とか図形とか、現実にあり得ない風景とかを描くやつらが最初外国で出てきた。ピカソとかダリとかビュフェとか。彫刻でいうとジャコメッティとか。戦争の時代の中で、不安から来る神経質な線とか極端に細い人体とか。ピカソはいろんな角度から見た絵を一枚の絵の中に描くという、どう考えても不可能なことをやり出したしダリは時計が砂漠でベローンてなってる意味不明な絵を描いたりした。

その内に『テクニックとかより大事なんはハートやろ。やっぱし。ハートさえ本物やったらそれ以外は気にせんでええねん。大事なんは初期衝動やで』みたいな感じの極端な一派もちらほら現れだした。キャンバスに絵の具をまき散らかして『はい完成です。どない?カッコいいでしょ。この暴れてる線の感じ』と言い始めたアメリカのジャクソン・ポロック(ちなみにポロックの抽象画は現在、70億円ぐらいします。この記事のヘッダー画像は200億円)とか。それが日本でも『ええやんええやん』

て流行り出して『俺は自分でもコントロールできない躍動感のある線を描きたいっ!』ってなった白髪一雄が足で絵を描いたりした。その他、瓶をキャンバスに投げつけてコレが僕の絵ですとか自転車にペンキ塗ってキャンバスの上を走ってコレが僕の絵ですとか並べたキャンバスを突き破って出て来た僕が芸術ですよ!みたいな何でもありのアクション芸術世界が到来し始めたのであった。

※筆者注。
コレ↑は具体美術協会のマジ画像。
ネタ画像ちゃうよ。


さらに書道の世界では、森田子龍とかが『別に読めんでもええやん。てか意味いる?一字だけでも良くない?』みたいな前衛書を発表し始めた。そうゆう感じのは日本国内では黙殺されたり評価されへんかったんやけど、海外では『ええやんええやん。最近の日本の子らもがんばっとんがな。見してみいな。ええのん何枚か買うたるがな』となり、その時代の前衛的な作家の作品の多数が海外のコレクションに流出したとか何とか。

この説明で合うてるかは知らんけどそこまで大ハズレではないと思う。知らんけど。



ほーん。
結構おもろいなあと。
思いながら拝聴しておりました。



二度の世界大戦が人間の心に取り返しのつかない爪を立て、それ以降の人間たちはベーシックでアカデミックな具象芸術の外側にも広大な闇のような抽象芸術の世界が広がっている事に気づいてしまった。


もう上品に描いてはいられない。
キャンバスに爪を立て、絵の具をぶちまけなければ表現できない傷を、多くの芸術家たちが心に負ってしまった。


そんな全世界的な。
抽象芸術の大きなムーブメントの中で。
パリとニューヨーク。
欧米と日本。
関東と関西。


この大小様々なステージが生き物のように対立したり結合したりしてた点も興味深かった。

例えばそれまで芸術の中心地とされていたパリがニューヨークにバトンを奪われ始めたり。
関西の画壇は東京を目指すんではなく、欧米に照準を合わせてコンタクトを取り始めた。
とか。

前衛的な書道も海外で大いに受けました。

森田子龍の『蒼』

そーゆえば前衛書の森田子龍って『とめはねっ!』てゆー書道のマンガにも出てきてた。


こちらは白髪一雄。

彼は天井からロープを垂らし、それにつかまりながら足に絵の具を付け絵を描いた。

アメリカのジャクソン・ポロックは絵の具を飛び散らせて描く。

両者に共通するのは、人間にコントロールされていない線を描きたいという欲望かと思う。

描きたい線が頭の中にあってそれを追うのではなく、芸術の神が何かをキャンバスの上におろすのを待つということか、。
ふーむ。


ビュフェとジャコメッティ。

ジャコメッティは昔から好きな作家でして。
こちらは豊田市美術館で観た『犬』


ジャコメッティとベルナール・ビュフェの相似性はなかなか興味深い。

極限を越えた痩身のフォルム。
切り傷のような細い線。

戦争の時代に肉感的で色彩のカラフルな絵を描く気になれるかと言われると、確かにそれはちょっと無理な気がするもんなあ、、。嘘になるというか。

そういう絵もあるにはあるけど。

戦争の時代です!
兵隊さんたちは素晴らしいです!
銃後の女性も献身的で健気です!

っていう政治的なプロパガンダなアートは、観ててやはり悲しくなんねんな、、。俺は。

東ドイツから西ドイツに亡命したゲルハルト・リヒターという人がいる。存命の世界最高の画家、現代美術の基準点の画家とも称される。でも彼が東ドイツ式の絵を描き続けていたら現在の名声は得られなかったと、俺は思う。


芸術は手段じゃなくて目的であるべきなんよ。
これはもう絶対に。

肉屋の少年。ベルナール・ビュフェ。



ダリとかピカソも出てたけど本日の収穫はこのビュフェという画家を知れた事ですな。




帰る時に思ったけど。
なんだかんだで、ここの美術博物館の建物が一番アーティスティックなんよな。





あ。ちなみに今日の昼飯は。
三河安城の名物。北京飯店の北京飯でした。

天津飯に豚の唐揚げがオンしてまんねん。


ほいで晩餐は。


岡崎にある上海菜館・喜福家の。
台湾冷奴にアサリ炒めに玉子チャーハン。
ここらではこの店が一番。

知らんけど。

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