愉しんで、活きる
5/3に映画を観て、想ったことを素直に綴っていこうと思います。
僕が想ったこと
愉しく活きよう
これに尽きます☺️
題名のままです。
noteの中では、
◯映画を観た感想
◯"愉しく活きる" とは
◯今、愉しく活きるためには
◯どう行動し、どう愉しく活きるのか
について書いていこうと思います。
◯映画を観た感想
映画を観ている時、観た後の率直な感想を書きます。
"想像以上に、情報が頭に残らなかった。映像を観ている時に思っているより、感じ取れるものは無かった。"
です。
これは映画を観た感想であって、僕が1週間近い日々の中で感じていたことです。
自分自身、頭で解りながら生活していました。
映画を観て劇的に変わることを期待していました。
そんなことはありませんでした。
私が映画を観て一番感じたこと
"『変化』することを期待して、『思考停止』で行動し続けて変化することはない。自分の『今』持っているもの・備え付けているものを見つめ直さない限り、『新しい』ものは入ってこない。"
です。
◯"愉しく活きる"とは
僕の考える愉しく活きるとは、
内にあるものを吐き出し続け、大切なものに出逢い続け、
永続的に、大切な『今』に出逢い続けること
なのかな〜と感じています。
愉しむためには、
・一人として自分を表現する
・自分とは異なる一人と対話する
・一人として、受け容れてくれる環境を見つける
・独りを生む空間を回避する
活きるためには、
・一人として、みんなに受け容れてもらう
・みんなを、一人として受け容れる
・独りにならない、生まない
だと私は感じています。
◯今、愉しんで活きるためには
一人として、受け容れてくれる環境を見つける
+
独りにならない、生まない
ことが必要だと考えます。
今はそれがとても難しい。
なぜか。
正しさを決めるのは一人ではなく、大衆であるから。
だと私は考える。
独りと大衆(少次元的)
一人とみんな(多次元的)
この若干のニュアンスの違いによって、実現は難しいと思います。
集権したところには、正しさが生まれ
共感・同調しない人は、独りになりがちです。
◯どう行動し、どう愉しく活きるのか
私は決めました。
大衆の持つ正しさの尺度を手放します。
わかりやすい一例を、
大人を敬い、子供に傲ることをやめます。
そうやって、日常の中で生活の中で植え付けられた正しさという
囚われ・思い込みを手放します。
映画を観て気がつくことができました。
膨れ上がった囚われ・思い込み
によって、今大切な必要な情報が更新されていないことに。
僕は、あくまで
今を愉しみ、活きます。
将来、愉しんで活きてればいいな〜と思い込んでしまった時
すぐに今いらないものから捨てられるように
常に意識していこうと思いました。
最後に、
一人と独りの違いがわからない人
もしくは、
2人といない 前例もない 比較できない 対象がないから
独りが怖い 当てはめてたい 比べるでしか
価値が見えない人へ
音楽を愉しんで 一人を愉しんで
みんなで誰も独りきりではないことを『証明』しよう✨✨
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