孤独と孤独感

皆さんこんにちは!マーシーです!

忙しい波も少しずつ落ち着いてきて、予定に余裕はなくても心には少しずつ余裕が生まれてきました。メリハリをつけようと思って行動していますが、これまではメリハリがないかわりにずっと何かをしている状態でした。しかしメリハリがあるということで何もしていない時間が生まれ、過ごし終わるとその時間を後悔してしまうようになってしまいました。ほんと何事にもメリットとデメリットがあるのだなとつくづく実感します。

さて、本日は孤独について書いていきます。タイトルにある「孤独」と「孤独感」の使い分けは、日本の幸福学者である前野隆司先生が執筆された
【幸せな孤独】を参考にしています。読んだタイミングは少し前なのですが、最近この使い分けを意識することの重要性を認識できるようになってきたので、このタイミングで書かせてもらいます。

人は孤独を恐れ、孤独は人を不幸せにするという話は多くの人が聞いたことがあると思います。有名な話で言うと、ハーバード大学が行っている幸福に関して研究しており、友達が多い人ほど幸せを感じているという研究結果を示しているそうで、まさに孤独とは対極な状態が幸福であることを示しています。また、こんな研究結果を聞かずとも、多くの人は一緒に遊んだり仕事したり愚痴を言い合ったりする友達がいる方が幸せになれると聞けば納得すると思います。これを考えると確かに孤独というものは不幸せの中心に位置する言葉と言っても過言ではないかもしれません。

しかし、前野先生は、真に恐れるべきは孤独ではなく孤独感であると主張しております。孤独感とは言葉の通りで、自分が今孤独だなあと思っている状態であると理解すると分かりやすいかと思います。つまり、友達や家族と一緒の空間にいても、孤独感を感じるケースがあり、反対に孤独であっても孤独感を感じずに生活するケースがあるということです。要は心の問題ということです。私はこの言葉の使い分けを知った時、孤独が悪いと言われている正体を突き止めたように感じました。私は孤独そのものは必ずしも不幸せな状態であるわけではなく、孤独であってもひとりの時間が好きだと豪語し、幸せそうに生活している人を見る一方で、家族とご飯を食べている時や恋人とデートしている時に何とも退屈そうにしている人がいることを知っており、モヤモヤを言語化してくれたような衝撃を受けました。

なぜそれを今書いたかというと、今の私は孤独感を感じながら生活しているような気がしているからです。忙しいし研究室と家以外は人との接点があり、毎日誰かと話す機会が必ず訪れるような毎日を送っているにもかかわらず、人に寄りかかることや頼ること、腹を割って話すことが少なくなり、それに伴って心の壁が形成されてきたような気がしています。本当に自分の心をコントロールすることができないなと思いながら、すき間時間にSNSを開くようになってしまいました。

ただ最近感じるのが、この言いようのない孤独感は、現代社会では多くの人が抱えている悩みのひとつなのではないかということです。ほとんどの人が、みんなとつながっているようで誰ともつながれていないのではないかという不安や、本当に自分の心を開ける相手がいないというストレスは誰しも持っており、その人と接したいという渇きを常に感じているのではないかと思っています。

私自身が解決できていないので断言はできませんが、これの解決策として仲間と協力して何かひとつのことを成し遂げようとすることが挙げられるのではないかと考え実行する方法を考えています。具体的には、私は大学院生として研究モドキをさせてもらっていますが、ひとりで研究するという概念を捨て、異なるジャンルの研究者であっても協力して研究をしていきたいと思っております。

趣味や仕事や、その他の多くの活動って、それだけでしたいって思える動機とはなりえず、人と関われるであったり、自分に注目してほしいであったりなど、副次的な価値が集合して動機になっているのではないかと思います。これからは邪念を持った自分を受け入れ利用し、行動の燃料としていきたいと思っております。

読んでいただきありがとうございました。どうしてもいつもより文章が長くなってしまったので、読み疲れた人には謝罪します。
いろんなことを多くの人と一緒にやっていきたいと思っております。

マーシー



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