モノクロ

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ぐちゃぐちゃ

正義と悪について自分の考察を書いた。 自分が嫌だと思う物に正義も悪も無い それでも嫌だと思うのは何故だろう 僕の頭の中はぐちゃぐちゃとしだして 煙草に火を付けて考える。 僕は何が苦手で何が嫌いで何が悪だと思ってたんだっけな あぁ、そうか自分か。 そう納得するのにさほど時間は掛からない。 絵なんか大嫌いだ。 集中出来ないし 描いていても全然楽しくもない。 それなのに何故か描きたい気分だった。 訳も分からずにぐちゃぐちゃに描いた絵。 僕は多分、いつも このぐちゃぐちゃな状態

    • 正義と悪の考察

      この正義と悪の概念は2つで1つ。 考察を簡単にし過ぎたと反省する。 もっと厳密に言えば認知の歪みと言うのが答え。 認知の歪みと言うよりも動かない思想。 不快感と快感。それによって簡単に2分割された物。 例えば、よく漫画とかに天使と悪魔が 自問自答の場面でよく現れているのが描かれる。 堕落させようと怠惰な発言をする悪魔と それを制する天使が描かれているが 本能的に生きている人間にとって 悪魔が正義となりうるし 本能的に生きたいと望む人にとっても 悪魔は正義に映る。 本能と理性

      • 死生観

        生物は生まれて死ぬ為に生きる 死ぬ為と言うと誤解を生じるだろうけど。 死ぬ迄に何かを残したいと願う者 ただ平和に生きたいと願う者 楽しければそれでいいと願う者 幸せになりたいと願う者 人の誕生とはいつからだろう。 誕生日とされるのは産まれ落ちたその日だ。 科学的に今の日本では堕胎が許されている 人間の形になる前の、それでも生命である。 病院的に言えば人の生まれる瞬間は出産。 カトリック教の教えでは堕胎は殺人。 お腹に居る時既に人として生まれている認識。 僕は宗教を自分の都合の

        • まるい気持ち

          真ん丸で角が無いような気持ち トゲトゲしてないまぁるいまんまる 人を突き刺すような鋭さの無い 中心からの距離が四方で変わってしまう気持ち ゴロゴロしたしかく 面積のない真っ直ぐな一直線の気持ち 細く、太く、まっすぐにのびた線 カクカクした気持ち 床にしっかりとした土台があって 下の負荷を軽減させる様な カクカクとした三角形 ねぇ、冬が近いよ冷たくて寒いね もこもこした素材が気持ちいいよ 日が短くて暗くなるのが早いね 夜の星空が眩くて綺麗だよ 寒くて外に出たくないね

        ぐちゃぐちゃ

          体が動かない…疲れたとか熱とかじゃない。 甘えんなって自分に言って奮い立たせても すぐに涙が出る状態で休みたいとも言えず 途方に暮れるだけで何もして無いそんな日

          体が動かない…疲れたとか熱とかじゃない。 甘えんなって自分に言って奮い立たせても すぐに涙が出る状態で休みたいとも言えず 途方に暮れるだけで何もして無いそんな日

          白んだ空が泣くから僕は歌を歌う 歌う為だけに創られたソフトは 外枠を超えて言葉の意味も知らずに歌う 雨の日を空が泣いていると表現した 僕はそれから雨が好きになった 雨のノイズで掻き消される泣き声と その優しさに絆される。

          白んだ空が泣くから僕は歌を歌う 歌う為だけに創られたソフトは 外枠を超えて言葉の意味も知らずに歌う 雨の日を空が泣いていると表現した 僕はそれから雨が好きになった 雨のノイズで掻き消される泣き声と その優しさに絆される。

          生きる理由

          それぞれ生きる理由を聞いて パッと答える人と無いよと答える人 色々居るけど。 美味しい物が活力とか 飲みに行くのがとか 家族が居るからとか 楽しいとか 稼ぐ為とかほんの少し羨ましく思う 生きる理由を考えたって何も無い。 死んで欲しい そう思う人も生きてるし 生きて欲しい そう思う人も亡くなるし 動物一家の人と話をした時 猫は裏切らないから大好きだと言っていて 僕も頷いた。 人間と違って可愛い一緒に生きてる 存在しているだけで愛情を自分の思う形で注げる 情報に左右されず存在

          生きる理由

          魅力的だったから

          魅力的な作品を前に盗もうとする人は居ないし 魅力的だったからと人の胸を揉んだり凝視しないだろう。 普通の感性ならそうだろう。 むしろ魅力的過ぎたら僕はそれに触れられない。 褒め言葉でも何でもない。 空腹に林檎の木が生えていたのなら 林檎が魅力的に見えて取って食べる人もいるだろう。 ただ、それがバレた時に謝ったとして 許す許さないやルールってどうなるんだろうか。 僕は空腹で瀕死状態でも食べない。 一言許可を貰おうと尽力したり手伝うだろうと思う。 魅力的に見えたからと襲われかけ

          魅力的だったから

          愛犬との出会いと別れ。

          僕には愛犬が居た。 出会いは中学三年生。 精神疾患と希死念慮に苛まれていた時。 色々なペットショップを巡って 隣の市にある小さなペットショップで見付けた。 茶色と白で茶色い毛がハートマークに見える子と 大人しそうにしゅんと座っている黒いまろ眉の子 僕は自分と似ている雰囲気を纏う黒い子を見て この子にすると直感的に口にしていた。 ペット療法と言う様な人間のエゴに モコを付き合わせてしまった事を申し訳なく思う。 名前をつける時シエルにしようと思ってた 姉がモコと呼ぶのでモコにな

          愛犬との出会いと別れ。

          作り置き、昨日の晩御飯。

          普段は暗いか真面目(?)な記事ばかりなので、 普段作って食べている様ななんて事ない 家庭の作り置きの料理の写真を撮ったので 載せていこうと思います。 これは先日のご飯。 仕事前の寝起きで作り置きもなく 急いで作った手抜きなのですが… そう見えない様にしてます(笑) ビノス貝は出汁が凄いけれど 身は噛み疲れる程弾力がある貝でした。 お安かったんですよね…。 ホンビノス貝は外来種で柔らかく ハマグリの様な感じなのですが 別物だった様なそうじゃない様な(どっち←) 有識者じゃない

          作り置き、昨日の晩御飯。

          変えた事

          スキのメッセージを変えた。 毒にも薬にもならない言葉って 存在していないように感じたから。 人にとって言葉の重さはそれぞれ違うと思ったし 薬は毒にもなれば 毒も薬になる事がある。 用法用量お守り下さい。 幼い頃は、よく道端に生えてる ツツジの花の蜜を吸っていた。 アレにも毒がある。 見てる分には人畜無害かも知れない 少量なら影響が無いかもしれない 多量に口に含んだ時に麻痺が起こる。 物事を本気で取り組む事が怖い僕は 中途半端なのではなくて、 経験から身に付けた防衛本能に感

          三日月

          消え掛けるような細い三日月に 僕は目を奪われたのだった。 満月よりも三日月が好き。 そして月の光が弱いからか星がよく出ていた。 オリオン座を見ると冬だなと 気温も相まって実感する。 職場での期待値やプレッシャーが 日に日に増えていく。 普通の人との成長の速さの違いで 僕はここでいつも躓いてしまう。 後約1ヶ月で辞めたいんです。 そう言う事も、嫌に嫌を言えずに どんどん息苦しくなるのも 自分のせいとわかっていても どうやって直せばいいのか分からない。 僕の偽りの優しさに人が甘

          多様性って言葉が嫌い。

          それと同じ様に、自己防衛って言葉も嫌い。 沢山傷付いたからって人を試して それの答えが自分の中でしか決まっていなくて 自己防衛を名目に人を傷付けて良い道理なんか きっと何処にもないのに、 自分が正しいと思う道で間違いを決めて行くと言うのは 誰だってそうだと思うけれど、 許容される許容出来る範囲って言うのは どうしてこうもわかりにくいのだろうと頭を抱えている。 多様性も自己防衛も 使われた相手が許容する為に使うものであって 許容されたいで正当化するように使う名目の言葉では無い

          多様性って言葉が嫌い。

          僕って誰?

          誰と聞かれてもモノクロとしか言い様が無い。 ただ僕にはこことは違う本名もあれば 過去に活動していた頃のキャラも名前も残ってる。 僕が僕として生きて来た道は一つだけれど 僕は僕1人で生きて来れたと思える人間でも無い 裏表がある様で全く無く、 裏表が無い様であると言うのも 僕には知る由もない。 裏表が無い様に見せる人が信用出来るのか 裏表がハッキリある人が信用出来るのか それも、僕には知る由もない。 僕の性別がもし違っていたらどうする。 そう恋人に聞いた時に返って来たのは 「

          僕って誰?

          グレた経緯

          グレていた時代がある。 人にキモいだとか、死ねと言っていた時期もある。 僕はこの時の自分がボロボロであったと感じる。 理由より結果だと人は言う。 グレた理由、経緯を書かせて欲しい。 小学校低学年の時、僕は姉と近所の 小さいショッピングモールに行った事がある。 自分は、当時きっと姉から嫌われていた。 保育所の時から化粧品が好きで 母親の口紅を保育所に持っていって 自分の口に塗っていた。 口避け女のようになったのは言うまでもない…笑 思いっきり叱られた。 キラキラして見えるもの

          グレた経緯

          地を這う自己肯定感。

          僕の自己肯定は最悪だ、最低だ。 自分に価値がないと思って疑えない。 利用されているのか、頼られてるのか その区別も全くと言って良い程出来ない。 頼られているなら相手は困っている人って言うイメージ、 利用されただと相手は計算高い人のイメージだと 第三者に与えてしまう。 自分の価値だけでなく、意図せず他の人の価値も 下げてしまう可能性が僕は一番怖い。 利用されていたとしても 利用されている側が利用しないでと言えば は?とか被害者面すんなよ。 そう言われて気付く、あぁまた卑屈なのか

          地を這う自己肯定感。