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命が燃える

※長いです

2010年6月6日東京競馬場。

将来自分がなりたいビジョンもやりたいことも見えず、遊び歩いていた日々。
なんとなく惰性で続けていたバイトの休みに、俺は競馬場に来ていた。

ギャンブルというと周りの友人はみんなパチスロに夢中だったが、自分は小さい頃に親父に教えられてハマったダビスタから、自然と競馬だった。

今日のメインレースはG1安田記念。
馬券を買うのはこのレースだけで、他のレースは観戦するだけと決めていた。
自由席に座り込んで馬柱に目を通す。
今日は暑いなぁ。

「安田記念、どの馬に賭けるんですか?」
隣の人に話しかけられた。女性だったので少しどぎまぎしてしまった。

俺「えっと‥人気薄ですが軸はショウワモダンです」
隣の人「‥ほんとですか!私もです!」
ショウワモダンに赤丸をつけた新聞を笑顔で見せてくれた。

"ショウワモダン"

近走4走は後藤浩輝騎手に乗り替わってから人気薄ながら好走。
目下2連勝中なのに何故か人気がなかった。

父エアジハードはナスルーラ系の傑作。
今でも最強候補と言われる98世代の代表格グラスワンダーを安田記念で撃破。
若駒時代から活躍していたグラスを大器晩成のエアジハードが破ったレースに痺れ、エアジハードは個人的に好きな馬の一頭であった。
息子モダンも若駒の頃から準オープン〜重賞で活躍こそしていたが同じく晩成型であると見立てていた。

もう一つ。俺は馬券購入にあたり馬の血統や騎手へのロマンが捨て切れず、大体外れてしまうのだが、後藤騎手がG1を勝つ姿をまた見たかったのも大きい。
騎乗姿が好きで、実力もトップクラス。騎手間のトラブルがとりだたされることもあったが人柄も大好きで、大レースの勝利が似合う男だと思っていた。

なんでモダンなのか理由を聞かれたので、上に書いた内容を述べた。
隣の人は私と少し違う理由だったが、後藤騎手の騎乗が好きという点は共通だった。

レースが始まるまで彼女は色々な話をしてくれた。名前はメイさんといい、元々厩務員の仕事をしていて、最近辞めたのだが競馬は変わらず大好き。

馬乗りに対する想いが強く、ある騎手との仕事でのエピソードを語ってくれた。メディアで取り立たされる人物イメージとは全く違う実直でまじめな人柄が伝わるものだったので、印象操作は怖いなと思った。

レース結果はショウワモダンが完勝。
最終的には8番人気まで落ちていたようだが、主役然とした力強い末脚だった。
喜びを爆発させる後藤騎手。手を挙げてはしゃぐメイさん。

俺はショウワモダンを軸にはしていたが、馬単で2着の馬が来ず馬券的には撃沈した。

インタビューで男泣きする後藤騎手。同じように泣いているメイさんを見て美しいと思う反面、自分自身がとても切なくなってしまった。
自分だけ別の世界にいるような。
このときには何故こんな気持ちになったのか理解できなかったけれど。

今思うと、俺に感極まるほど熱中できる、好きなものがなかったからだと思う。
理由は分からなかったけれど、この時の気持ちがきっかけで趣味はもちろん、このあとに就いた仕事にも出来る限り打ち込んで、最後はちゃんと好きになれたのだと思う。

レース後、万馬券を換金したメイさんが競馬場近くの立ち飲み屋に誘ってくれた。
「ここは私のおごりだよ!」
ガハハと笑うメイさんはさっきまで泣いていたのと同じ人だとは思えない。
だが、それが逆に人間的にすごく魅力的にも映った。

勝った時は必ず競馬場近くの飲み屋で飲むのがメイさんの中での決まりごとらしい。
メイさん「仕事とかもそう。目標に対するご褒美を作ることでモチベーションを保てるもんよ」
みたいなことを言っていた。

ダメ人間の俺にはなかなか理解が追いつかなかったが、現在どういう生き方をしているのか見抜かれてしまったようで、色々なことをメイさんは教えてくれた。
だが途中からは楽しくて酒が進みすぎ、あまり覚えていない。(ダメダメ人間

‥‥

ショウワモダンは安田記念以後のレースは苦戦が続き、希少なナスルーラ系後継としての種牡馬になることが出来なかった。

そして、モダンも後藤騎手もこの世にはもういない。
だけど2人が駆けた1600mのターフ、レース内容、流した涙。
無気力でどうしようもなかった俺が、あの時確かに命が燃えている瞬間を見たんだ。

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