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誰かが待っていなくても


(写真は19歳時の私自身)

バンドにいる時だけは、自分が無敵になったような気がしていた10代。小さくまとまっていた自分の姿を払拭するかのように、解放出来ずにいたエネルギーを放出するべくバンドにのめり込んだ。今思えば、誰かに自分の力を示そうと躍起になっていたのかもしれない。

この歌声を使って。
力強く地を割ろう。人の心を貫こう。
そういう猛々しい面があったことは、否定しようもない。そんな事を思いながら、いつもまるで何も気にしていないみたいな、涼しい顔をしていようと思った。なぜなら、今までの私には誇れる姿なんて見つからなかったからだ。だから涼しい顔で、当たり前に恵まれた人みたいになりたいと願っていた。


無敵だった若者に影が落ちる夜を覚えている。
「あなたを待っていた」
という台詞は私に向けられたものではなかった。それは同時に、私を待っている人は居ないという、烙印のようであった。私はしばらく脳に染み付いたその烙印に苦しんだ。どんなに歌っても届かなかったことは明白だったし、自分が1番に、自分自身の中身の無さを分かっていた。
世界を知らない者に、世界の歌は歌えない。人生の苦みを知らない者に、ブルースは歌えないのである。だが、影が落ちた代わりに、表現が届かない、届けられないという、本当の寂しさを知った。
心にくすみが出るほどに、人生は愛おしくなる。磨くことが必要になることもそうだが、それよりも痛みを知ることそのものは人生の中で何より価値のあることのひとつに違いない。痛みを分かる、分かち合う。そんな優しいことの価値のない訳がない。もし生きる事に悩んでいるのなら、信じて欲しい。痛みが無いのなら、あなたの完璧な人生はきっと単調でつまらないものになるだろう。


それから、今もなお寂しい瞬間に出会うことがある。
ただその頃と違うのは、決して感傷的でなく、極めてバランスを持った目線で自分と他者を見ていることである。誰かと比べて自分が劣っていると落ち込むこともない。誰かが素敵なら、それ以上の素晴らしいことは、ほかに無いのだ。
あれから未だに私はずっと、「誰も待ってはいない」という烙印と共に生きているが、深く傷つけられたその言葉は紛れもない真実であったと冷静に受け止めているし、力及ばなかった未熟な自分を恥じることもしない。烙印は私が歌を歌っていく上で大切な、人生で10年以上離さず持ち続けている痛みの象徴のような出来事なのだ。


誰の期待にも応えない私の表現をする。
歌を歌う。

芸術は水。
音楽も水。
人間の渇いた地を潤すのはいつだって、
創造という水だけだ。

私は渇いた魂を潤すために、
これからも作り続けるだろう。
例え何年先でも。
誰かが待っていなくても。

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