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ディストピア≠ポストアポカリプス

※少しネタバレ要素あります

去年の今頃を振り返ると、国立受験のための勉強にいそしんでいた。それからというもの、この一年は本当に充実した日々を過ごせた。自信を持っていえるが、今の環境はとても良く、魅力的な人が多い環境にいれることが嬉しいと日々感じている。

先日に大学の期末試験も終わり、暇を潰す機会を得たので、
【ニーアオートマタ】というゲームをした。

まず身の上話になるのだが、ボクは人一倍
小説、純文学、まんが、アニメ等を摂取している自負がある。

ゲームに関してはFFのような、ストーリーがしっかりしているものを好む性質をもっていて、最近は物語を見るにしても、

「この内容、○○とにてるなぁ」

なんて思うと退屈な作品と決めてしまう悪癖がついてしまった。(あんまり問題とは思っていない)

 そこで、今回の話に戻る

遠い未来。
突如侵略してきたエイリアン。
そして、彼らが繰り出す平気「機械生命体」
圧倒的戦力を前に、人類は地球を追われ月へと逃げ延びていた。
地球を奪還するために、人類側はアンドロイド兵士による抵抗軍を組織。
更に膠着した戦況を打破するため、新型アンドロイドである戦闘用歩兵
「ヨルハ」部隊を投入する。
人のいない不毛の地で繰り広げられる機械平気とアンドロイドの熾烈な戦い
やがてそれは、知られざる真実の扉を開けてしまう…

ニーアオートマタ HP

 上記のような前提に立って物語をすすめて行くのだが、このゲームシステムとして、たくさんの視点で物語を眺めるように設定されている。

ある人にとっては、大事ではないような出来事も、別の人にとっては大事なのだ。そんな当たり前を織り込みながら、自分の本質や本懐を”決める”物語だった。

エンディングがたくさんの分岐をしているところも、自分決めの旅に答えを添えていくような気分を提示する。

Eエンドを終えたボクは、物語で主人公達が欲しくても手に入らない、血の通った世界中の支援を受けて、最後の弾幕を乗り越えた。孤独な戦いであったが、支えが力になるのだと、言葉が身にしみるのだと分かった。

 本当に最後の終わり方が最高の作品だった。

 以上はゲームの感想で、記事タイトルにある内容を触れていく

”ディストピアの意味を正確に理解している人は少ないと思う”

ディストピアは、ユートピアの反対の意味を持つ言葉で、漠然と人類滅亡みたいな不遇な環境であると思っていたので、ニーアオートマタはディストピアの世界観と考えていた。

しかし、よくよく調べるとポストアポカリプスという設定が一番近いのだとわかり、ディストピアに関しても認識のずれが大きくあって、単純なユートピアの対義語としてディストピアを認識するのは違うのだと知った。

 今回調べて分かったことを簡単にまとめる。ディストピアとは、
自分の意見を貫き通すのが難しく、人間らしい生活が困難になっている状況だ。

思いつくのがこれまたゲームなのだが、デトロイト・ビカム・ヒューマンというゲームがある。それはアンドロイドが素晴らしい性能を持って人間を支えすぎた結果、人間の居場所がなくなってしまうものだ。

これこそディストピアの象徴というゲームで、それも本当に面白いのでやってみるといい。

また一つ賢くなったねぇ



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