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ベーシック万能薬

⚠️3年以上前のメモを書き起こしています。

 ベーシックインカムは少し前からよく耳にしていて、これで何が改善できるかなんてのはボクの専門外であり、新たに何かわかったことを話すことはできない。

単なる随筆ですのでご容赦を。


 ベーシックインカムはありなんじゃないのか?

最初に聞いた時に、考えなしに思った事である。

ボク自身は社会を憂うほどに器が大きくない。
そればかりか、日々の暮らしに必死だ。
単純に金が降ってくるだけでも嬉しい。
それが貧乏人の性ってもんだろう。

しかしそれだけではない、日本人としてのあり方を再定義できる気がしている。

むしろこっちの理由が最初に頭によぎったのだからおもしろい。

 日本は無神論者がひしめている国であり、その中でも僕たちは一身独立して生きていかなければならない。

天皇大権だったり国粋主義といった、いわゆる独裁とも言える政治にも賛同する人が多かったのはそこに焦点が当てられると思う。

どういうことかというと、実際は僕らは一身独立できるほど個人として強くない。虚しく寂しい感情の拠り所を欲した結果、不動たるものを敬ったのだろう。

そして、そんな人たちを含めた日本国民が共通認識を作ろうと、輪を作り、仲間を作り、村を作り、共同体を作った。

そこで問題なのが、集団は作ったが共通する信念がなかったことだ。

宗教がないのだから当然かもしれないが、そんなだから信賞必”罰”における”罰”を極度に意識したような共同体になった。

村八分なんて言葉が昔からあるのは、個人に対する信頼ができない代わりに安心を求めた結果だ。

生きる意味を宗教的実存に託せない分だけ、横並びの肩を寄せ合う安心を求めてやまなかった。

そうでもしないと、日本の風土における非情な災害や火災、疫病に対して心を保てなかったのだろう。

長くなったので、現在に戻る。

忘れているだろうから、もう一回ボクの考えを述べておく。

 ベーシックインカムはありなんじゃないのか?だ。

それは上記の通り、人は個人で生に対する意義を見出せず実存を確立できない弱々しい生き物に加え、特に日本人は神という拠り所もないのだから仕方ない。

そして、ベーシックインカムというのを考えてみる。単純に考えると、生きているだけでお金が降ってくるシステムだ。

これはただ生きるだけの淡白な日々に、信頼のある通貨を用いることで、生に新たな意味を付加できないだろうか?

「恵比寿様大好きかよ」だったり、「拝金主義の温床」といわれるかもしれないが、現状生まれた人たちはなんの意味も持たず、宗教的実存も保てないままに一線を超えていく現状に意味を付け足せそうだと思う。

 少々迂回すると、数年前からか多様性なんてことが巷で言われているが、それは共同体の崩壊につながるのではないだろうか?

世間という存在は実証することはできないけれど、たしかに古来の日本からある概念で、それは共同体を維持するのに必要不可欠だった。

しかし、世間が多様性に侵食されている。

そして、世間は鬱陶しくもあるが少なからず拠り所となっていたにも関わらず、瓦解しはじめている。

そんな中でも実存を保つには、生の意味を貨幣に変えて再定義しても問題はないだろう。

専門家でないので、政策なんかの内容に触れることはできない。

しかしこんなどうしようもない考えを、我ながら面白いと思ったので書いてみた。

現代病の万能薬としてベーシックインカムを服薬するのは面白いし有意義だと思うのだ

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