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「今日、推しがいない。」三次元の推しメンに生かされた、二次元ヲタクの話

はじめに


こんにちは、じょにー麻子と申します。
普段は二次創作の小説(ボーイズラブ)を書いてます。つまり、「二次元」のヲタクなんですね。

そんな私が、人生で唯一「心血を注いだ」と言えるほど愛した、5年弱応援し続けた、「三次元」の推し。それが、ラストアイドルでした。

バトルによってメンバーを入れ替えながら正式メンバーを決定する。なんて残酷で美しい、少女たちの深夜のショータイム。初回放送(2017年8月13日)を居酒屋のテレビで偶然見て以来、虜になった。

敗者によるユニットも含め、総勢25名の「ファミリー」としてスタートをきったラストアイドル。先日、2022年5月31日、活動終了となりました。

これは、「三次元の推しに救われた二次元小説書きの記録」です。


一期生との出会いと別れ

初回放送を視聴して、当時暫定センターだった間島和奏さんに衝撃を受け、継続視聴。夫と一緒に、すべてのバトルを見守りました。途中でバトルによる入れ替わりが発生し、センターの座に就いた阿部菜々実さん。

彼女の透明感に惹かれ、デビュー時の表題ユニットである「ラストアイドル」(現:LaLuce)の箱推しになった。

とはいえ、こちとら住んでいるのは最北端の地。イベントごとに顔を出せるわけでもなく、また、当時、職場でのストレスにより躁うつ病を患っていたこともあり、できた応援は僅かばかりのものだった。

そんな中、さまざまなバトルを経て、グループの形がすこしずつ変化してゆく。変化に思うところがあったのか、デビューしてまだ1年も経たないうちに、複数のメンバーが卒業していった。

もっと、私にできることはなかったのかな。
そんな後味の悪さが、しばらくしこりとして残り続けた。


推しメンとの出会い

そのまま時は過ぎ、2018年4月15日。

テレビシリーズにて、「ラストアイドル二期生」を決定するバトルが行われることが発表される。当時の率直な感想は、「早すぎない?」だった。大好きな1stシングル表題ユニット、LaLuce(※「ラストアイドル」から改名を強いられた)の処遇を見ていただけに、ひたすらに不安が募った。

それでも、粛々と進んでゆくバトル。
なんとも言えない気持ちでそれを眺めていた、2018年5月19日。

のちに私の人生を変える女の子と出会った。

愛知県出身、当時17歳だった女の子「下間花梨(しもまかりん)」さん。画面内に登場した瞬間、「あ、だめだな」と思った。緊張しすぎて、ずっと声も身体も震えていて、アピールタイムでは台詞がとんで沈黙してしまう。でも、妙に力強かったこのひと言だけは覚えています。

「スタート遅くても、夢は必ず叶う」

そう宣言し、彼女は欅坂46さんの「制服と太陽」を熱唱したわけだが

(放映当時の映像は公式からアップされていないので、昨年のパフォーマンス映像です)

衝撃でした。

豹変した、何かが憑依したとしか思えない彼女のパフォーマンスに胸を打たれた瞬間、迷った。地方だから、持病があるからと言い訳をして、このままでいいのか。声を上げて応援しなくてもいいのか。お前は1期生での後悔をまた繰り返すのか?

そう思った瞬間、「アイドルヲタク」としてのTwitterアカウントを開設し、彼女にリプライを送っていました。まだ暫定メンバーだったため、初めて頂けたお返事はいまでも大切にスクショ画面として残しています。

ここから、私のヲタ活が始まった。


初めての現場

2018年9月29日、二期生の正規メンバーが決定。
それと同時に、東京・原宿での「お披露目イベント」が開催されると、番組内で告知が流れました。とりあえず、日付を確認。

2018年10月14日

半月後だが??
最北端の地に住む社畜にどうしろというのだ、運営。いやしかし。だがしかし。気づいた時には、航空券をとっていました。もちろん日帰り弾丸遠征です。ブラック企業の社畜に休みなどないのだ。

ステージで輝く下間花梨さん、本当に、素敵だった。CD購入者特典の「グループ握手会」では、彼女に名乗って、想いを伝えることができた。号泣するわたしの頭を彼女は呆れつつも撫でてくれた。17歳に撫でられる三十路って、なんなんだいったい。

会いに行けなかった後悔をずっと引きずっていたLaLuceもゲスト参加してくれていたため、「ありがとう」を伝えられたのもいい思い出です。

これを皮切りに、わたしは「在宅ヲタク」から、「そこそこに現場参戦をするヲタク」となった。彼女とは、いろいろ、ほんとうにいろいろなことがあったのだが、それは割愛。下間花梨さんは、いつも、人生のどん底だったわたしの味方でいてくれた。ときどき、「後悔したくなければ、常滑のリリイベ来て。ちな今月です」とか、無茶苦茶言うけれど(笑)

報われなくても、折れそうになっても、何度やめそうになっても。
立ち上がって、歯を食いしばって、アイドルでいつづけてくれた。

そんな彼女の「わがまま」にふりまわされることも、まったく、苦ではなかった。だって、かわいい。いや、めんこい。目に入れても痛くないくらい。アイドルはヲタクに金を使わせてなんぼなのに、彼女は毎回、わたしの財布の心配(笑)をしてくれた。体調のことも、気にかけてくれた。そんなもの気にしなくていいのに。

「生きてたら可能性は残るけれど、死んだらなにも残らない。ちゃんと生きるんだよ。あなたの周りのひとと、諦めずに、話すんだよ」

いつかの握手会でもらった言葉が、今でも忘れられない。

下間花梨さんとの思い出を、いくつか載せておこうと思う。

2019.6.8¦ちょっとぎこちないのには理由がある
2019.9.15¦呼び出された常滑
2019.12.7¦グループ撮影会
2019.12.8¦ツーショットセルフ撮影会

2018年~2019年、このほかにも、行ける限りの現場に行ったと思う。関東勢の方に比べたら、ほんとうに、微々たるものだ。一回の往復交通費・宿泊費が6万円もかかるのだから、しょうがない。

それでも。元「アイドルヲタク」の下間花梨さんは、弱ヲタのわたしを責めないでくれた。地方民が「一回」にかける気持ちの重さを、わかっていてくれたのかもしれない、と思う。


「正社員、やめるんだ」

推しメンが「生きている」ということ、推しメンの「生きろ」という言葉に生かされ続けたわたしにも、限界は訪れた。一向に改善されないブラックな業務形態、セクハラの常習化に耐えきれず、正社員をやめることになった。

それすなわち、もう現場には行けない、ということ。
稼げないので、当然です。

辞める直前の握手会で、正直に伝えた。情けなくて悔しくて、涙がとまらなかった。参加する回数は少なくても、一回にたくさんのお金を落とせるヲタクでありたかった。それがわたしにできる唯一の恩返しだったから。

彼女は、

「そんなことはいいから、すぐ辞めな!」

なんて。アイドルとして、およそあるまじき言葉をくれた。止めろよ。こちとら握手券やらコラボのソシャゲに、諭吉何枚積んでると思ってんだ。言えよ。わたしのために稼げって言えよ。普段はもっとわがまま放題のくせに。ばかやろうが。

彼女は最後まで、わたしに「健やかに生きろ」と言うだけだった。

奇しくもその直後、新型コロナウイルスが流行したため、アイドルの「現場」イベントはことごとくなくなり、オンラインイベントが台頭した。顔を見て話せるオンライントーク会、電話会、ライブ配信。

だから、地方在住のわたしでも、かろうじてヲタクでいつづけることができた。幸か不幸か。彼女たちアイドルにとっては間違いなく「不幸」だったのだろうが、わたしにとっては、ほんのすこし「幸い」だった。


小説を書きたい

2021年、春。
仕事の時間も減り、コロナ禍になって、考える時間が増えた。

同時に、ずっと燻っていたある思いも増した。
もともとわたしは、役者・脚本としてアマチュアの演劇に携わり、約10年前までは二次創作活動で小説を書いていた人間だ。

何かを創りたい。

それが演劇なのか、小説なのか、新しい何かなのかはわからない。演劇にせよ二次創作にせよ、コロナ禍でオフイベントのない中、今できること、やりたいことをさがす。並行して、ドルヲタとして生きる毎日。

そんなとき、現ジャンルに出会った。
スケボーアニメの、緑×ピンクの沼に転げ落ちた。

すごく、すごく、揺れた。
「書く」ということは、わたしにとって、ものすごくエネルギーを使うことだ。非正規雇用でも相変わらずブラックな会社で働いている中、生半可な覚悟では挑めない。何より、二次創作のオフ活動には投資が必要だ。

どうせ書くことをまた始めるなら、まずは二次創作、それから、その先。一次創作だって本当は書きたい。いけるところまで目指したい。ドルヲタと、書くこと。天秤にかける時がきた。
その時、頭によぎった言葉があった。

「スタート遅くても、夢は必ず叶う」

最後と決めた電話会で、わたしも夢を目指したいと打ち明けた。もうお分かりだと思うが、彼女が応援してくれないわけがなかった。

「またいつでも遊びに来なよ」
最後まで、彼女は笑っていてくれた。

抽選で当たった彼女からのメッセージカード的なものに書かれていた言葉は、とっても温かかった。

「最近の――はほんとにキラキラしてて刺激もらってる!夢に向かってる、だいすき!あこがれ!いつでも相談乗るからね♡」

下間花梨さんは、最強の女の子だ。アイドルとしてだけじゃない、ひとりの女の子、人間として、彼女のことが大切で大切でたまらないと思った。

その想いを抱えたまま、ドルヲタをやめた。そこからは、フォロワーさんがたが知っている通りのわたしです。現推しカプのことも、彼女を愛したのと同じくらい、愛せるようになろう。彼女の幸せを願うのと同じくらい、幸せを願えるような文を書こう。

人を憎んでばかりだった私が、彼女と出会って、人を愛せるようになった。

「愛しか武器がない」

彼女のデビューシングルのタイトルだ。



もうひとりの存在

二次創作を始めてからも、シングルが出るたびに一枚は購入した。彼女たちの曲に刺激をもらって生まれた物語もある。「愛なんて」「落花」「アズーロ」「引力」「ヲタ屋敷」。このあたりは、ラストアイドルの存在なくして生まれなかった世界線です。

ドルヲタをやめても、彼女の存在はわたしのなかで生き続けていた。力になっていた。

書いていく中で、つらかったことがふたつ。

ひとつ、〆切(これは自分のせい)
ふたつ、炎上(わたしは悪くない)
日本のトレンド一位は笑うしかなかった。
からの、匿名罵詈雑言、某掲示板への晒し。

ひとつ目は自業自得として、ふたつ目はさすがにしんどかった。最近、旧鍵垢のスクショが晒されていたことを追加で知り、さらにしんどくなった、というのはまた別の話ですが(笑)

今でもまだ、何も書けなくなるときがあるけれど。当時はほんとうにひどくて、淡々としたふうを装いつつ、今にも発狂しそうだった。全部やめて、アイドルヲタクに戻りたかった。

そんなときにも、アイドルは力をくれた。下間花梨さんにもらったメッセージカードを毎晩見返して、「負けるか」と思っていたのは、もちろんのこと。

もうひとり、語るに欠かせないメンバーがいる。ラストアイドル二期生アンダー(バトルの敗者によってつくられたユニット)の、大阪府・オリックスファンの岡村茉奈さん。

二期生アンダーというただでさえ当時は不利に思えたユニットの、最後尾にいたのが岡村茉奈さん。SHOWROOMという配信アプリで毎晩の通勤時間に配信をしていてくれたことから、彼女を知って、彼女のしゃべりに夢中になった。


2019.06.08¦初めての個撮

彼女のすごいところ。デビュー日から一日も欠かさず、解散までの「1144日」間、配信を続けたこと。三年弱ですよ。不遇な位置からのスタートでも、報われない日々が続いても、よいときも、わるいときも、ずっと笑顔で。

その結果、ダンス力が認められてある楽曲のBメロでは前列に抜擢されたり、選抜入りを果たしたり、しまいには「夢」と公言していた「オリックス戦での始球式・パフォーマンス」を叶えた。

「継続は力なり」

を体現した、誰より尊敬するアイドルです。

続けることをやめてしまいたくなったときは、だから、彼女の配信にこっそり遊びに行った。つらい時期も、疲れているときも、岡村茉奈さんは天真爛漫な笑顔だった。
ひさびさにコメントしたとき、「――じゃん!何してたん??!!」って叫ばれたときは、ごめん言い忘れてた!!って本気で思った(笑)

わたしの炎上なんて、かわいいもんですよ。日々いろんなひとのいろんな言葉や感情に晒され続けている彼女らのほうが、よっぽど大変だ。

岡村が1000日やってんのに、たかが300日で諦めてどうすんだ。そんな思いで、いつも元気をもらって、ここまで続けてくることができた。下間花梨さんが「世界一しあわせになってほしい最愛の推しメン」なら、岡村茉奈さんは「世界一尊敬している、プロ中のプロアイドル」でした。

もうひとりの、かけがえのない存在。
ありがとう。

そして、忘れもしない、2022年3月9日

ラストアイドルの活動終了が発表された。
2022年5月31日、解散


5月、2度の有明

気持ちが追いつかなかった。

危ないだろうというのはわかっていたけれど、事実として突きつけられるのは、またすこし違う。けれども、長いことヲタクを離れていたわたしが、何を言えるわけもない。

急ぎヲタク時代のアカウントを復活させて、5月3日スパコミの準備と並行し、推しメンの卒アル作成などをしながら、最後のドルヲタ期間を過ごすことになった。

2022年5月3日。
スパコミの日でもあったけれど、わたしにとっては、もうひとつの重要な日でもあった。推しメンとの、最後のオンライントーク会だ。

岡村茉奈さんは、今後も芸能活動を続けるだろうという確信があった。どこに行ってもついていく。それをゆびきりして、笑顔で終わった。

問題は、下間花梨さんだ。彼女は絶対に、芸能界に残らない。ラストアイドルがなくなった瞬間、わたしの世界から、彼女は消える。そのことが、なんだか信じられなかった。悲しいとか悔しいとかいう感情以前に、とにかく、下間花梨さんのいない世界を、わたしはすっかり忘れてしまっていた。

スペースを売り子さんにお任せして、外でお話をした。すこしだけばかみたいなやり取りをしたあと、わたしが二次創作をやっていて今日有明でスパコミに参加していることを知っている彼女は、言った(頒布と言う言葉を彼女が知るわけもないので、そこの表現には目をつぶってほしい)

「わたしは今日お仕事で東京に来てる。――も、本を売るために東京に来てる。お互いに、好きなことをするために、東京に来てるね。3年前は、こんなわたしたち、想像もつかなかったよね。うれしい。素敵だね」

ほんとだね。最初期は、ぼろぼろの花梨さんと、ぼろぼろのわたしがいたよね。想像もつかなかったね。しあわせだね。

下間花梨さん。もうじゅうぶんだ。
あなたを推して、ほんとうによかった。

2022年5月29日、ラストコンサート。
ビックサイトのすぐ近くの会場だった。

最前列から観た、花嫁さんみたいな白いドレス衣装のみんな。ほんとうに、ほんとうに、綺麗だった。


今日、推しがいない。

2022年5月31日をもって、ラストアイドルは解散した。今日の日付は、6月2日。今日のわたしの世界には、もう、推しがいない。最愛の推しメン・下間花梨も、尊敬するアイドル・岡村茉奈もいない。

今日、推しがいない。

そんな世界を、まだ夢うつつに捉えている自分がいます。現実のことではないみたいだ。どんなに逃げ出したいと思っても、もういない。まいにち、スマホを開けば配信があった。それも、今日、ない。正直、抜け殻です。

それでも、生きなければ、と思う。
夢もぜったいに諦めない、と思う。

ありきたりな言葉だけれど、彼女たちが輝いていた姿は、ずっとずっと、わたしの中にあるので。わたしのなかで、生きているので。わたしが歩くことをやめてしまったら、それは、わたしの中の彼女たちを消してしまう、ということになるので。

彼女たちの「おわり」を飾った曲に、こんなフレーズがある。

太陽が出ていても 見えなくても
何も変わらないこと
まだ届かない 遠い夢だって
あの場所で輝く

もうそこに見えなくても、ラストアイドルはずっと心の中にある。推しメンも、心の中にいる。だいじょうぶ、何も変わらない。

そう思える日が来るまで、
空を見て書き続けようと思います。

下間花梨さんへ。あなたに生かしてもらえなかったら、書くことを始めることさえ、きっとできなかったよ。あなたが「なりたい姿」になれたように、わたしも、そうなれるように、がんばるね。ありがとう。

岡村茉奈さんへ。継続は力なり。あなたの姿勢にそれを学ばなければ、励まされることがなければ、とっくにわたしは書くことをやめていたよ。約束通り、どこまでもついていきます。ありがとう。

ラストアイドルの皆さんへ
みんなと出会えて幸せでした。
ありがとう。

以上、
推しメンに生かされたアイドルヲタクでした。

今日からまた、二次元のヲタクに戻ります。


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