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ファミコン誕生物語 第2回

はじめに

この記事の内容は、レトロゲーム・レトロPC・ホビー情報サイト「コペンギン」(コペングログ | レトロゲーム・レトロPC・ホビー情報サイト (kopenguin.com))の運営者でいらっしゃいます koPen様が、「今の子どもたちにとって『ファミコンの歴史』を学ぶことが、現在の『Switchの面白さ』につながっている。そのことを子どもたちに伝えたい」とのJohnnyの主旨をお汲み取りくださり、その多大なるご厚意により「ファミコン誕生物語 第2回」の記事の引用をお許し頂き、Johnnyがそれをアレンジ・文章化し、焼き直したものにすぎません。

最初にそのことをお断りしておきます。

レトロなゲームソフト、ゲーム機、PC等に関しましては、それらの「巨大データベース」である上記サイトの閲覧をお勧めいたします。
文末になりましたが、koPen様へ感謝の意を表します。

第2回 リコーとの運命的な出会い

●世界を席巻(せっけん)する、「日の丸」半導体(はんどうたい)

上村さんは家庭用ゲーム機の開発に協力してくれそうな電子機器、半導体メーカーを探し始めました。
そして、大手(おおて)である「日立(ひたち)」「東芝(とうしば)」「NEC(エヌイーシー)」などに頼(たの)んでみましたが、すべて断られてしまいました。

当時、1980年代初めは個人やビジネス向けの「ワープロ(専用機)」や「パソコン」が市場に出始めたころで、「DRAM(ディーラム)」を中心とした半導体需要(じゅよう)が急拡大した時期でありました。
そして、どの半導体メーカーも口をそろえるようにして、次のようなことを言ってきたのです…。

「現在、我々(われわれ)の工場はフル稼働(かどう)の状態のため、御社(おんしゃ)に協力させて頂(いただ)きたいのは山々(やまやま)なのですが、今回は御社との共同開発は見送らせて頂きたいのです」

●家庭用ゲーム機開発は断念(だんねん)か?

以上のような経緯(けいい)から、家庭用ゲーム機プロジェクトはいきなり中止になるかと思われました。
そんな状況の中、コピー機で有名な「リコー」から上村さんへ電話があったのです。
リコーの担当者の人が言うには、「上村部長に相談したいことがあります」と言うのです。

それは、「大阪府池田市に半導体工場を造(つく)ったので、是非(ぜひ)見学に来て下さい」とのことでした。
昨今(さっこん)の半導体需要(じゅよう)により、最新の設備を投入(とうにゅう)した「カスタムLSI(エルエスアイ)専用工場」を建設したとのことでした。

そして電話の最後に、担当者の人はこう言いました。「弊社(へいしゃ)のエンジニア(技術者のこと)たちも、上村部長とまたお会いできることを楽しみにしていると思いますよ」

●リコーの半導体工場にて

上村さんはリコーの工場を訪(たず)ねました。任天堂の本社がある京都からは名神(めいしん)高速道路を使えば、車で1時間くらいのところでした。
工場の立ち上げは1981年でした。以前はコピー機の感光紙(かんこうし)工場であった跡地(あとち)に建てた、とのことでした。

現地に着いてリコーの担当者の人に会うと、上村さんは疑問に思っていた次のような質問をしました。
「技術者はどうされたんです?このご時世(じせい)、半導体のエンジニアは急には集まらないでしょう?」

担当者の人は
「はい、実はそれで上村部長に会わせたい人たちがいるんですよ…」と言いました。
「会わせたい人たち?」上村さんはちょっと不思議に思いました。

●三菱の技術者たちとの再会

それから設計事務所に案内されました。
その事務所とは、工場が建設されてまだ間もないため、まだプレハブ造りの2階建ての建物でした。

そこで会ったのが工場長の「浅川(あさかわ)さん」と半導体ロジックリーダーの「八木(やぎ)さん」でした。
実は上村さんは、その二人とは初対面(しょたいめん)ではなかったのです!

昔、1970年代に任天堂初の家庭用ゲーム機を三菱電機(みつびしでんき)と共同開発した時、半導体設計についてゼロから指導してくれた技術者が、浅川さんと八木さんでした。
三菱の開発チームは、リコーからの新工場における立ち上げの協力要請(ようせい)を受けて、それに協力するために丸ごとお世話になっていたのでした。

そこで上村さんは、現在構想(こうそう)中の新型家庭用ゲーム機(ファミコンのこと)についての話を始めました。
「アーケードゲームのドンキーコングを『家庭でも遊べるようにしたいのです』」と。
そしてなんと幸運なことに、三菱の技術者たちもゲーム大好きな人たちだったのです(笑)

●「ファミコン」開発始動(しど     う)!

以上が任天堂とリコーが共同開発して、家庭用ゲーム機を作ることとなったいきさつの話です。

世間は狭いものですね。
しかし、何という偶然でしょうか!
昔、素人同然(しろうとどうぜん)だった任天堂の開発2部に半導体設計を基礎から教えてくれた三菱の技術者たちとまた、巡(めぐ)り会うことになるとは!

三菱のエンジニアと言えば当時、半導体業界(ぎょうかい)ではトップクラスの能力を持つ人材(じんざい)の集団でした。

特にリーダーの八木さんはチームの中でも「雲(くも)の上の人(つまり『神様』)」とか「別次元(べつじげん)の能力を持った人」と言われていたのです。

そして、この八木さんの類(たぐい)まれな技術者としての能力が、「ファミコン」を家庭用ゲーム機史上、燦然(さんぜん)と輝(かがや)く、「別次元のゲーム機」へと押し上げることになるのでした。

その後、任天堂の山内社長とリコーの浅川工場長との会見がありました。
その会見はお互いに初対面とは思えないほど、実に打ち解けた内容の話し合いで、極めてノリノリで終了したのでした。

それからすぐに山内社長の「ゴーサイン」が出ました。
ここに「任天堂」と「リコー」とがウィンウィンの関係で強力なタッグを組み、出発することとなったのです。

そして開発第2部はいよいよ、家庭用ゲーム機「ファミコン」開発に乗り出すのでした! (第2回 終わり)

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