春アニメ メモ 10話のおさらい 昨日、公開するの忘れたやつ、一時保存ボタンをクリックしたのだろう。

 1回メモ書きしながら、見ただけなので多分、細かい文言に間違いがあると思う。後日訂正予定。
 今日は極力、時系列を追いながらおさらいしてみる。

 黄前×滝
 滝昇の考えている部活動の音楽
 部活動の、と限定していいと思う。部活動の顧問として、部活動の音楽とはどういうものであるべきか、という問いを彼は持っている。というのは、彼自身が「部員の上達に結果が伴う」ということを述べているので。
 また、彼はコンクールに(勝つことに)特化した音楽がありうるのかに疑問を持っている。これはこの作品の主要であるかはわからないが、テーマのひとつだろう。みぞれがコンクールを嫌いといっていた理由、吉川優子のコンクールへの疑義にも重なっている。競技性というものへの疑義、これはぼくにもとてもよくわかる気がする。

 ※例えば、、ぼくはテニスというものは相手が打ち返しやすいと思うであろうところに球を意図して打ち返す競技だと思っていた。卓球では校内の球技大会をそれをやってさっさと終わらせろと文句を言われた記憶がある。通常とは別なところに勝ち負けがあると思っていたということになるだろうか。わからない。
 採点競技に限らず、実は、競技性という物自体に疑義を持つ人が世の中に多数いることは想像にかたくない。

 黄前がきかなかったこと
 ユーフォソリの選考基準。一番、聞きたかったことを聞かなかったらしい。後の田中あすかへの相談にも、大会演奏前の黄前部長による気合入れの檄にもこれは関連する。大会前の部長による激について、予め述べておくと、ソリ問題は棚上げして、部員全体の鼓舞に努めたと理解している。目の前の目標である全国出場のためという理解であり、黒江真由とのソリ問題は次回以降に持ち越されたという印象をもった。

 高坂×部員、高坂×塚本、黒江×久石
 オーディションによる部内の雰囲気の悪化に関する部員の不満とそれに対する高坂からの反論への塚本の補足、3回制は幹部による提案から始まったというもの…そこから高坂と塚本の口論に…なにか言いたげな黒江を久石が止める…という流れ。
 久石が黒江を止めようとしたのか、あるいは、久石が黒江を気遣ったのか?どちらであるかはわからないが…この解釈が分かれることで作品全体の理解にも影響を及ぼすのか?そこがいまのところわからないので、保留。
 黒江真由をどう理解するかは作品全体の理解に影響を及ぼす気がするけど…この久石のシーンに限らず、細部の理解をつめれば、作品全体の理解も上がるというのはぼくにはよくわからない。
 この一連のシーンは黒江真由がきた「だけ」のことで部内がガタついたことを描いたシーンということでひとまず先に進みたい。

 黄前×高坂、二度目の決闘河原編
 黄前→高坂 正論を言って部員が納得するなら、だれも苦労しない。
 正論というのはだれにとっても正しいという意味でも、だれが言っても正しいということか。実力主義という前提から出発して、だれが言っても、だれにとっても正しいのがその場合における正論。
 黄前は正論を言うのをやめるということにつながるシーンとして時系列的に構成されたのだろう。この後の田中あすかへの相談、演奏前の檄につながる。
 うーん。ここは前回の橋上の決闘と合わせると微妙に感じる。ぼくがたんに百合好きであるからという点は否定しないが、高坂麗奈とは決裂したままのほうが百合度が高い気がする。これで百合が否定されたとは思わないけれど…おそらくはこの物語が『坊っちゃん』とは違って二人の物語ではないからだろう。特に3期は黄前久美子の物語として成立していて、関係性に着目するなら、塚本秀一でもなく、高坂麗奈でもなく、黒江真由が最重要人物ということになると思う。作中における親しさが作中における重要度をしめすわけではないことが3期の特色なのかも?1、2期をまた見返してみたくなる。
 2期に希美とみぞれのエピソードがあり、この二人は久美子とあまり近くないとは言えそうだけど、このエピソードも田中あすかという人間を知るために配置されたと見ることも可能である。もっとも、あすかパイセンも万能でないと知るよいエピソードであると思ったが。

 黄前久美子専用田中あすか相談所
 田中あすか 「みんな答えを出してから行動しているとはかぎらない。」
       「迷っている」たぶん、滝昇と黒江真由が迷っているということ。
       「無責任に好き勝手、言う。」黄前久美子のこと→演奏前の檄につながる。

 幹部ノート(10話では2度目)
 高坂 「初めて書くけど上に同じ」

 大会当日、黄前×黒江
 黒江→黄前 「ソリ頑張るね」
       「久美子ちゃんのソリのチャンスなくならないように」(みたいな感じ)、このことば、自販機前で久美子があそこで遮らなければ、言っていてもおかしくないし、久石に止められたときに言っていてもおかしくない気がする。このことばすらも、久美子にしてみれば避けたくなるというのもわかる気がするけど…
 ぼくはもう半分、黒江真由という人間について考えるのはやめようかな、という気もしてくる。久美子のソリを脅かすほどの転校生が現れるというのはやっぱよくわからない。黒江真由の部内でハブられ様も、一般的な部活動においては見慣れた光景であるのかもしれないが、これまでの北宇治では高坂麗奈のケースがこれに近いか…黒江真由の場合は、ソリを自ら望んでいるわけではないというのがなんとも…中世古も、高坂も互いにソロを吹きたかったから成立した対立である。
 黒江真由が関西大会でソリを吹いて全国に行き、全国で黄前久美子がソリを吹いて金賞に輝く、めでたしめでたしとはぼくにはあまり思えない。
 部内競争、特に、ソロとソリの奪い合いはその奪い合いをする人たちがそれぞれにだれにも譲らないという意志をもっていないと部外者(視聴者)から不毛な競争に見えるということか。おまけに部活動に固有なうっすらハブる空気つき。
 なお、ぼくが黒江真由問題に解決はないというとき、実はその内実はあまりつめていない。この人を理解できないということもあるし、なんてこんな人が突然、転校してきたのかがわからないということでもあるし、この人が個人的に抱える「自分というものがない」問題は解決不能では?ということでもある。複合的に大雑把に黒江真由問題と言っている。

 久美子の檄→演奏
 黒江真由の背中 「とめてくれるな、久美子ちゃん、女は背中で泣いている」なのか?(ふざけているわけではないです。)
 久美子の目のアップの短いカットが挟まれていたので、あの時、久美子の眼は真由を捉えていたと思っているけど、真由がどんな顔していたのか?多分、気合いの入った顔をしていたということだと思う。

 今日、時系列で並べてみたのは、芦原妃名子さんのいうところの順番の入れ替えで作品の理解が変わる問題についても考えてみようと思ったからが…これも実はかなり難しい問題だと思う。
 真由の「ソリ頑張るね」と久美子の檄を入れ替えたりしたら、実際、かなり意味は変わる、というか、
 久美子の檄→真由「ソリ頑張るね」だと
 久美子のことばに真由が心打たれ「ソリ頑張る」と決意表明したように見える。が、…
 実際の順番通り
 黒江「ソリ頑張る」→久美子の檄だと
 真由は心を打たれたかもしれないし、そうではないかもしれないし
 作者が受け手に明確な答えの提示をしないことを意図しているなら、このような順番を変えない方がよいということか。
 今、記述しているのはユーフォへの感想ではないですよ。
 順番を入れ替える問題について考えているだけです。
 時系列シャッフルの問題はいろいろとむずかしいのだけど、解釈にまつわる問題として一考以上の余地があると思う。回想シーンをどこに挟むのかも、この問題であるだろう。

 ※弱めのロジックでつなぐとシーンでも、文章でも同じことが言えると思うけれど、順番を入れ替えると意味が変わる?弱いロジックでつなぐことのよさもある。

 構成を意識すると結末を予測する。これは同じことか、違うことなのか。


       

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